• 記事検索

RSS

「喜び、祈り、感謝」 テサロニケの信徒への手紙一5章16~18節

 「ポリアンナ物語」という子ども向けの物語があります。ポリアンナは牧師である父から「よかったさがし」という遊びを習い、どんなことにも「よかった」を探す遊びを身につけます。この「よかった」を「喜び」と言い換えてもいいのではないかと思います。「喜び」を日々の生活の中で探し、見出し、心躍るような気持ちになれたらいいなーと思います。

 16節の「喜んでいなさい」という言葉はギリシア語で「カイレテ」と言います。マタイによる福音書28章に記されているイエスさまの復活物語にも出て来る言葉です。女性たちがイエスさまの墓に行き、墓が空であることを見、天使の言葉を聞いて、弟子たちに伝えるために走って行くと、復活のイエスさまが現れ、「おはよう」と言われたことが記されています。この言葉のギリシア語原語は「カイレテ」です。イエスさまは女性たちに、「喜べ!」と言われたのです。喜ぶとは心躍るような心情です。しかし、そうではない状況の時は、心が塞ぎ、喜べなくなってしまいます。そんな時には、ポリアンナの「よかったさがし」の遊びを思い出して、喜べることを見つけていくことが大事かなとも思わされます。

 17節には「絶えず祈りなさい」と記されています。「絶えず」と言われています。時が良くても、悪くても祈りなさい、と言われているのです。絶えず祈るということは、事あるごとに、心で祈ることです。平穏な時も、病気の時も、緊急のことが起きた時も、嬉しい時も、祈るということをなしていかなければなりません。祈りが生き生きしたものとして、私たちの心に根付き、祈りの花を咲かせ続けなければならないと思います。絶えず祈るということは、神さまと絶えず結びついていることを確信することです。私たちの力の源は、神さまにあるのです。

 18節には「どんなことにも感謝しなさい」と記されています。順境の時に感謝することはたやすいことです。ここでは、順境の時には感謝しなさい、と言われているのではないのです。「どんなことにも」感謝しなさい、と言われているのです。逆境の時に起きるどんなことにも感謝しなさい、と言われているのだと思います。感謝も「よかったさがし」と同じで、どんなことにもよかったこと、感謝することを探すことが大切であろうと思います。

 4月21日に召天されましたローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は、今日の聖書の箇所を取り上げて次のように言われたそうです。「幸せになるための三つの法則は、つねに喜ぶ、絶えず祈ること、いつも感謝することです。…わたしたちは祈ることにより、真の喜びの源である神との、揺るぎないかかわりが持てるようになります。キリスト者の喜びは、何かを支払って得られるものではありません。お金で買えるものではありません。…。」

 また児島教会は「喜びをもって、祈りながら、感謝して生きる。」を2025年度の信仰目標として掲げます。いつも、絶えず、どんなことにも、喜び、祈り、感謝をなしていく、そのような私たち一人一人であり、教会であるように祈る者でありたいと思います。

2025年4月27日 復活節第2主日 平島禎子牧師(文責)


コメント
name.. :記憶
e-mail..
url..

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):