昨日からうつで午前中寝込みました。今日も午前中寝込みました。 午後起きても何をするわけでもなく、ぼーっと過ごしています。 お守りを身に着けているのに、うつになるのですね(><) 私のお守りは茨の指輪(左中指)と指輪ロザリオ(左人差し指) とラピスラズリの指輪とムーンストーンの指輪(2つとも右薬指)です。 (左薬指には結婚指輪が取れない状態ではまってます。太ったので、 抜けなくなったのです) うつになる前茨とロザリオの指輪をつけ忘れたために、 うつになってしまったのかもと思いましたが、 昨日は全部つけていたのに、今日もうつになりました。 昨日は慌てて指輪をつけ、フランシスコのロザリオとディンプナのメダイと 不思議のメダイと聖霊のメダイを昨日はつけていました。(4つぶらさげていました) 今日はロザリオとメダイをつけていないので、うつが続いたのかもしれません。 寝る時は外すので、そのままにしており、起きてつけるのを忘れたのです。 指輪はつけっぱなしで寝ていますが、指輪も休ませなければいけないですね。 なんか、乱用してて、カトリックの人に怒られそうですが、 あと、マグダラのマリアとマルタとフランシスコのメダイを持っています。 さすがに7つも首からぶらさげるのはためらわれております。 うつの時って、午前中は起きれず眠っています。午後は何をするわけでもなく、 ぼーっとすることが多いです。夜はまた眠くなって、寝ます。 昨日は8時半くらいに寝ました。気分は沈みがちですが、深刻なほどでは ありません。悪い時は、希死念慮がありましたが、今はないです。 そんな自分をも受け入れて、明日を生きなければならないと思っています。 明日こそはうつ抜けしないと、説教が作れません。神さま、助けてください! |
今年の2月21日に新見教会の役員の女性のお連れ合いが召天されました。 まだ70歳で、今の時代では早すぎる死であると思います。 残されたお一人お一人に、神さまの慰めがあるようにと祈ります。 そして一週間後の2月28日には、恩師とも言える牧師が召天されました。93歳でした。 私が神学生の時に通っていた教会の牧師であり、結婚式の司式もしていただきました。 葬儀は3月4日に奈良教会で行なわれました。最初は行く予定にしていましたが、 当日の夜中、私が発熱をして行くことができませんでした。申し訳なかったです。 しかし、後にお連れ合いとお電話でお話をすることができ、感謝でした。 次は、3月8日の午前に児島教会の最高齢の女性会員が召天されました。 2月に90歳になられたところでした。 亡くなる前日入院されていた病院にお見舞いにいったばかりでした。 9日に前夜式、10日に告別式が行なわれました。寂しくなりました。 ご遺族に神さまの慰めをお祈りします。 (日、月だったので、ちょっとふらふらになりました。) そして、3月11日に石川一雄さんが亡くなられました。 12日の昼に知りました。ショックでした。 私が狭山事件のことを知ったのは、1991年です。 「造花の判決」の上映会がどこの教会だったかは忘れましたが、 その映画を見て、石川さんが犯人にでっちあげられたことを 確信しました。その後、狭山の中央集会に行ったり、教会を周る 鴨居キャラバンに参加したりしていました。 再審要請のはがきも出しました。福岡の教会にいる時には、 教会で「造花の判決」の上映会もしました。その時、地元の 解放同盟の人たちや解放共闘会議の人たちも大勢来てくれました。 その他色々とありました。 ただ、2003年に病気になり(現在も通院服薬治療中)、 運動に関われなくなり、思い出しては、ハガキを書くということを していました。狭山の闘いの流れは、関連するHPやFBで知っていました。 昨年の袴田さんの無罪判決に続いて、次は狭山だ!石川さんだ!と 思っていました。本当に残念です。 立て続けに訃報を聞き、また、教会員を亡くし、心がフリーズしてしまいそうです。 死の力というのは、こうも残酷なのか、と思う一方で、亡くなられた方の生き様から 教えられることが多く、この世の生をそれぞれの方が、それぞれの在り方で、 一生懸命に生きて来られたのだなとも思わされました。 残された者の使命は自分しか生きることのできない自分の生を懸命に生きること だと思います。病気持ちの私は、いつ倒れるかわからない状態ですが、 これからは倒れないように、より気を付けると共に、 より懸命に、より真摯に生きなければならないと思わされました。 召天された皆さま、ご苦労さまでした。天にてすこやかにお過ごしください。 狭山事件の再審請求審は、お連れ合いの石川早智子さんが引き継がれるそうです。 大勢の人たちが、支援をされています。私もその末端に自分の身を置きたいと 思っています。 |
今後の伝道計画にご検討を 主の聖名を賛美します。 信徒伝道者、音楽家の宮田四郎です。 私は、聖書に出てくる「角笛」から発達した楽器、ホルン(horn)でクラシックから ゴスペルソング、日本民謡などを演奏して多くの人々が教会に集うきっかけを作りたい と願い、音楽伝道集会の開催を呼びかけています。 コンサートには伴奏が必要ですが、カラオケでもできます。 現在、世界中で感染症や自然災害、そして戦争が広がっていて、まさに、終末が近づいているようです。いつ来るかは分かりませんが、クリスチャンは信仰に立って、備えをしておく必要があります。また、未信者にはコンサートに来て、大いなる神の愛を知って欲しい、と思います。 コンサートでは私の証しや聖句について、演奏の合間に話しています。下記のyoutube動画をご覧くださればお分かりになるでしょう。 今まで演奏家、教師として大変恵まれてきて、伝道資金を充分蓄えてあり、私費を投じてやっていますが、「ボランティアですので謝礼は要りません」と言うと、却って気を使われて、高価な名産品を送ってくださったりします。と言う訳で、謝礼は1回の集会で、旅費など全て含めて近距離では1万円、遠距離では2万円、あるいは会場での自由献金だけ、と決めて、北海道から九州まで出かけて行きます。詳しい資料(証し、等)が必要でしたら、メールでお送りします。 どうか、今後の伝道計画の一つに検討してくださるよう、お願いします。 主のご計画が進められますよう、期待して祈り備えます。2025年3月 在主 宮田四郎 〒252-0021神奈川県座間市緑ヶ丘6-11-14 Tel・Fax 046-251-4308 E-mail shiro0821@ybb.ne.jp ホルン奏者 宮田四郎 プロフィール 東京芸術大学卒業、第35回日本音楽コンクール第1位入賞、ドイツ留学。 NHK交響楽団や東京交響楽団でホルン奏者、東京芸大、国立音大、玉川大学で講師、 昭和音大で准教授などを歴任してきたが、現在は自由な立場で全国各地のキリスト教会 での奉仕を第一にしている。 若い頃、マルクス主義から仏教に真理を求め、寺院で 仏式結婚を挙げたが、その15年後に座間キリスト教会(現在の大和カルバリーチャペル) で夫婦そろって受洗して現在に至り42年経ちました。 私の最近の演奏と証しです。それぞれ3分くらいです。 https://youtu.be/jZLsWH09GK4日本民謡メドレー(カラオケ)2024,11.金沢 https://youtu.be/CWU6X8RBfG0「鳥のように」Flee as a bird 2024,8 大和カルバリー https://youtu.be/JeMPzuHBY3o Prince of Denmark's march 2023年9月 八尾 https://youtu.be/q6SVBR6H_RA フレールジャック 八戸 親子礼拝2024.10 |
今年になって初めてHPを更新しました。 サボってばかりで一か月が過ぎてしまいました。 月日の経つのは速いですね。 1月は結構寒い日もあったり、暖かい日もあったりと、 気候に惑わされる月でもありました。 この一か月、鼻がつまったりぐずついたりで、いけません。 父の一周忌も終わり、心に余裕が出てきたような感じです。 福岡で一人暮らしをしている母がきにかかりますが、 私はのどかな日常を送らせてもらっています。 精神状態も少し安定してきたようです。 しかし、最近はフジテレビのニュースがやかましく、 不愉快に思っています。 昔SMAPファンだった私は複雑な気持ちもしますが、 やはり中居くんのしたことは許されてはいけないこと だと思います。彼が芸能界から引退したのは当然の ことです。また、その問題にフジテレビ社員が関わって いたことを隠蔽しようとする姿勢は許されません。 スポンサーを降りる企業が多数になり、フジを見ていると、 ACのCMが目立ちます。これからのフジの行方は、 どこへ行くのやら、予測不能です。 しかし、女性社員を接待に使うとは、性差別も甚だしい ことだと思います。そういうことがこの事件が露見する まで、平気で行なわれていたことに怒りを感じます。 そのような腐った体質を変えていってもらいたいです。 被害に遭われた方は本当に大変だと思いますが、 勇気を出して告発してくれたことは、後続の者たちの ためにもなり、さらなる犠牲者を出さずにすむように なったと思います。心の傷が少しでも癒されますように。 教会の一か月も速かったですね。 新年礼拝には、HPを見て出席された方もあり、 少数ながらも恵まれた礼拝でした。 後は、役員会で、礼拝の司会を信徒2名と教職2名 がすることが決まり、早速、26日の礼拝は、 新しく司会者となった女性役員の担当でした。 (後一名の男性役員は昔から司会をされています) あとは、何かなー、特に新しいことはない…。 またいいことがあったら、ここで報告します。 インフルも流行ってますし、体調に気を付けて ください。 |
梅雨も明け、暑い日々が続いております。 昨日は、岡山市内の施設に入っておられる教会員を 2人でお訪ねしました。暑い中でも健康が守られ、 おだやかにお過ごしのようでよかったです。 帰りに岡山イオンモールに寄りました。 涼しくウオーキングができるかと思いきや、 高校生をはじめたくさんの人でにぎわっており、 人に酔う感じで、用事を済ませてすぐに帰りました。 (連れ合いがTシャツを1枚購入) しかし、暑い!車内の温度は41度を記録しました。 本当に殺人級の暑さです。水分補給をしっかりして 皆さまお気をつけください。 |
やっとHPの説教要旨を更新しました。 待っておられた方々、すみませんでした。 私がHPを担当しているのですが、 6月に病気で教会をお休みし、 HPも扱えませんでした。 ずっと気になっていて、やっとです。 礼拝説教も7月の第3まで、 笹井先生にお願いしました。 来週から説教も復帰です。 心新たにがんばりたいと思います。 |
1月17日(水) ヨハネによる福音書4章1~26節 ・イエスは洗礼を授けられるということはなかった、イエスは聖霊による洗礼を授けられる。弟子たちが洗礼を授けていたが、それは水によるもの? ・シカル=シケム(←アブラハムが祭壇を築いた) *イエスとサマリアの女 7~15節:主題は水。水のやりとりがなされている。イエスは女に水を求めた。ユダヤ人は他の民族と交際していなかったので、ユダヤ人(イエス)がサマリア人(女)から水をもらうことはありえないことだった。 10節:「主よ」という女の言葉。この女は心が渇いていた。 16~26節:この女はイエスのことを預言者という。彼女には夫が5人いて今一緒にいる男とは結婚していないことをイエスに言い当てられる。この女はこのことからも過去に傷があったのかもしれない。 23節:礼拝の本質ー霊と真理をもって、心をこめて真の信仰をもって礼拝することが大事。礼拝の場が大事なのではない。 25節:女性はメシアを求めていた。 26節:イエスはズバッと自分がメシアであることを開示された。 ☆サマリア人であり、女性であり、身をもちくずした女をイエスは救われた。救いから外れている人を救うことがイエスの使命。 ☆この女は昼間に人目を忍んで水を汲みにきていた。そのことを知って、イエスはやって来られた。イエスは救いを求めている人のところに自ら来て下さる方。 1月24日(水)ヨハネによる福音書4章27~42節 27節:弟子たちが食べ物を買って帰ってきた。女性と日中話すことは憚れていた。弟子たちはイエスと女性をスルーした。 28~29節:女性は水ガメを置いて、1㎞離れたシカルの町へ行った。シカルの町にも井戸はあったが、この女性は、人目を憚り、昼に水を汲みにきていたのだった。イエスの存在は驚くべきものだった。彼女は水のことを忘れて、人々にイエスのことを告げたいと思い、シカルの町へ行った。 29節:「さぁ、見に来てください。」(1:46参)と人々に伝えた。女性は変貌をとげていた。人目を憚って生きていた女性の暗い表情がおそらく輝き、活気に満ちたものとなっていたのではないか。女性の変わり様、存在自体が証になった。 31~38節:弟子たちの話 食べ物の話に変わる イエスさまは伝道に心を燃やしていた(32節)。34節の言葉は悪魔の誘惑(マタイ、ルカ)の時に言われたものと同じ意味合い。神の御心をなすことが私の食べ物である、とイエスは言われたのではないか。 35~38節:伝道をなすこと(刈り入れ)がサマリアに来た意味。(使徒言行録8章フィリポのサマリア伝道につながった) 39~42節:サマリアの人たちがイエスのところへやって来る。 42節:「わたしたちが信じるのは…わたしたちは自分で聞いて。この方が本当の救い主であるとわかったからです。」誰か何かを通してイエスと出会う。最後には自分が信じるようになる。 ☆昔の教会は地域共同体の中にあったが、現代は人の行き来がある。移動がある。外国からも。現代は多様なルーツを持つ信仰共同体としての教会、新しい教会の誕生が望まれるのではないか。 ☆個人としては、最終的に自分で聞いて信仰を育むことが大切であると思わされた。 |
笹井牧師が代務をしている新見教会に私も協力牧師として奉仕をしている。新見教会は月に3回の礼拝だ。第一土曜日の午後1時30分からと第三土曜日、そして月の最後の日曜日の午前10時から。基本、第一土曜日は笹井牧師が説教をし、第三土曜日は私が説教をしている。次の最後の日曜日は信徒祈祷礼拝。信徒だけで集まって、祈りを合わせる礼拝。主な信徒は三名。児島から新見へは、車で、総社市と高梁を通って行く。行きがけは昼食休憩を含めて2時間半くらいかかる。お昼は総社のはずれ、高梁市との境近くの「たね井や」という地産地消のバイキングにいつも行っている。野菜が中心だが、魚、スパゲッティやミニコロッケ、おやきなどもあり、デザートもフルーツポンチやゼリーなどがある。あと、コーヒーも。昨日はなんと「ぜんざい」があった。もちろん餅入り(笑)ダイエットをしなければならない身であるが、誘惑に負けて、お餅を2個入れてしまった…。おなかいっぱいになって、新見教会へgo! 1時過ぎ新見教会に着いた。信徒の方が一人先に来ておられた。私の父が亡くなったことを知っておられ、お悔やみを言ってくださった。感謝だった。で、この日の新見教会の礼拝説教は私だったのだが、マスクをしており、事前に栄養ドリンクを飲んでいたせいか、胸が熱くなり、息苦しくて、話すのが大変だった。疲れてたので、栄養ドリンクを飲んだのが失敗だった。自分の力で話そうと思っていたせいだと思う。栄養ドリンクに頼るなんて不信仰だった。反省。昨日は、4人の信徒さんの出席だった。礼拝後、茶話会をするのだが、一人の方のお父様が病床にあり、洗礼をどうか、という話が出た。いろいろと話した結果、行いましょう、ということになった。病床洗礼という形になる。どことなくあたたかさを感じる教会だ。 今日は本務教会の児島教会での礼拝。説教は笹井牧師。私は司式だった。「新しく生まれる」と題しての説教。天から吹いてくる風、聖霊によって、イエスさまによって、人間はいくつになっても新しく生まれることができる、新しい人間になることができるのだ、ということを聞き、主にあって前向きに生きていきたいと思わされた。礼拝後は、「マナの会」(女性が中心の会)があり、担当のI姉の用意してくださったサンドイッチ🥪と紅茶にみかん、あと他の信徒のお子さんからいただいたおかきをいただき、発題を聞いた。「天城教会にある石井十次ゆかりの鐘」についての新聞記事と「横田早紀江さん(拉致被害者横田めぐみさんの母)とお孫さん、ひ孫さんの再会」に関する記事について話された。敗戦記念日の正午に天城教会で石井十次ゆかりの鐘が鳴らされるとのこと、その鐘には、「天は父なり人は同胞なれは互いに相信し相愛す可(べ)き」「天父は恒に働き給ふ我等も俱(とも)に労働す可(べ)き事」などの文言が記されているとのこと。石井十次の信仰がこめられた鐘なのだ、と思うと共に、人間は互いに愛し合い、信じ合うべき存在であり、戦い合う存在ではない、ということから平和の鐘と呼ばれるのにふさわしいと思わされた。横田早紀江さんの記事の冒頭には、聖句が記されていた。「苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。この希望は失望に終わることはありません。」(ローマ人への手紙5章3~5節)(←新聞記事のまま)早紀江さんの孫のウンギョンさんとその子ども、ひ孫にあたるチオ二ちゃんと3人が写った写真が掲載されていた。めぐみさんがそこにいたらどんな喜びだっただろうと思う。亡くなったと北朝鮮側は言っているが、実際はそうではないと思う。「絶対生きている。おばあちゃんも他の家族もそう信じている。喜びの日が来るまで忍耐強く待って希望を失わないでね。」という早紀江さんの言葉が記されていた。あまりにも長い年月が経っている。しかし、支持する私たちも早紀江さんの気持ちを大切にし、希望を持つものでありたいと思わされた。パウロの苦難の中にあっても忍耐をなし、希望を生み出していったように。他人事と考えずに祈りの課題にしたいと思わされた。また、マナの会の中で、別の信徒から「カルト」の問題についての話もあった。何もない素振りで教会にやってきて、教会を乗っ取ろうとする手口をもつカルド宗教には気を付けなければならない。カルトはあくまでも洗脳集団なのだから、全うな宗教ではない。カルトかそうでないかの判断基準の一つとして、献金の問題があると思う。献金を強要してくる宗教は全うなものではないので、ご注意を! |