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『 児島教会 』の検索結果 ( 13件 )
「尊敬し合う」  ローマの信徒への手紙12章9~21節
説教題 「尊敬し合う」    聖書:ローマの信徒への手紙12章9~21節  今日は児島教会の創立を記念してささげる礼拝です。信仰の先達たちに思いを馳せ、その繋いで下さった信仰をあらためて心に深く刻みたいと思います。  キリス・・・ [2019年04月18日]
「神われらと共に」  マルコによる福音書1章18~25節
 イエスさまの母となるマリアは、大工をしているヨセフと婚約していました。しかし、二人が結婚する前にマリアは聖霊によっておなかに赤ちゃんを宿しました。結婚する前に婚約者以外の男性の子どもを身ごもるということは、当時のユダヤ社会で・・・ [2018年12月30日]
「一粒の麦」  ヨハネによる福音書12章24節
 今日は聖徒の日・召天者記念礼拝を守っています。  児島教会に赴任してから約4年半になりますが、その間5名の方を天に送りました。また私事では、児島に引っ越してから1週間後に弟が急死するということがありました。亡くなられた方々を思・・・ [2018年11月06日]
「愛と平和」  ヨハネの手紙一5章1~5節
 今年も平和聖日を迎えました。何を話すべきか、いろいろと黙想していると、なぜか「愛」という言葉が浮かんで来、そして次に「愛と平和」という言葉が浮かんで来ました。地に「平和」を実現するために神さまがイエスさまを通して示された道、・・・ [2018年09月18日]
「始まり」   マルコによる福音書1章9~15節
 今日の聖書はイエスさまが公生涯に入られた始まりのことが記されています。イエスさまは全き人間おしてヨハネから洗礼を受け、その時に天が裂けて(イザヤ書63章19節)、神の御心を知られました。そして、霊に導かれて荒野へ行き、サタンの誘惑・・・ [2018年05月01日]
「隣人愛」  マルコによる福音書12章28~34節
 私は大学入学すぐのイースターに洗礼を受けたのですが、サークル活動等の忙しさを理由に教会の奉仕をあまりというか、ほとんどしていませんでした。しかし4回生になると時間も出来たので、CSの奉仕をすることになりました。そのころさかん・・・ [2018年04月26日]
「心を新たにして」 ローマの信徒への手紙12章1~8節
 今年は1月2日に鷲羽山の山頂まで初めて行きました。体力がかなり落ちていて、展望台から山頂までは普通なら10分で行くらしいのですが、私の場合は、休み休みに行って、ようやく山頂にたどりつきました。本当は途中でやめたくなったのですが・・・ [2018年01月22日]
「分かち合う共同体」 使徒言行録2章43~47節
「分かち合う共同体」 使徒言行録2章43~47節  今、私たちは、児島教会に連なる38名の召天者のみなさんと共に、記念の礼拝をささげています。このとき、新たな思いをもって、児島教会の現在、過去、そして未来に思いを馳せたいと思います・・・ [2017年11月07日]
「生ける神の教会」 テモテへの手紙一3章14~16節
「生ける神の教会」 テモテへの手紙一3章14~16節   なぜか2週間前に続いて、「教会」をテーマにした説教になってしまいました。教会というと、多くの人は建物である教会堂を思い浮かべるかもしれません。もちろん建物としての教会も大切・・・ [2017年05月23日]
「先頭に立つイエス」 マルコによる福音書10章32~34節
「先頭に立つイエス」 マルコによる福音書10章32~34節 今日は2月の最後の日曜日で、また降誕節も最後になります。今週の水曜日、3月1日は灰の水曜日で、4月15日までレント(受難節)となります。わたしたちの児島教会では、この克己のと・・・ [2017年02月28日]
「イエスの言葉を信じる」 ヨハネによる福音書4章46~54節
「イエスの言葉を信じる」 ヨハネによる福音書4章46~54節 わたしたち人間は、誕生したときには、最も身近な存在、多くの場合は親ですが、その言葉を信じて成長していきます。しかし、次第に、ものごころがつき、反抗期を経て、信じられる・・・ [2017年02月14日]
「『裁き』から『救い』に」 ヨハネによる福音書3章16~21節
 「『裁き』から『救い』に」 ヨハネによる福音書3章16~21節  アドベントクランツの三本のロウソクに火がともりました。  8日(木)早朝、鴨居シヅエ姉が天に召されました。ご遺族の御意向で、家族葬というかたちで葬儀を行いました。 ・・・ [2016年12月20日]
「教会の働き」 マタイによる福音書9章35~38節
「教会の働き」 マタイによる福音書9章35~38節  イエスの周りには、「飼い主のいない羊のような弱り果て、打ちひしがれている群衆が」が大勢いました。イエスはそのような群衆を御覧になり、深く憐れまれました。この「憐れむ」という言・・・ [2016年10月26日]