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『 神さま 』の検索結果 ( 44件 )
「目を覚ます」   マルコによる福音書13章32~37節
 千葉県で台風による災害が起きてから、2週間近くになります。被災者の上に神さまの慰めと励ましをお祈りします。  今回も「災害ゴミ」の多さに驚かされていますが、今一つ考えさせられたのは、倒木の異常な多さです。ある報道では、山が荒・・・ [2019年09月22日]
「偽善」   マタイによる福音書6捷1~4節 
説教題 「 偽 善 」      聖書:マタイによる福音書6章1~4節  信仰に基づいて善行をしていくときには、ひとつ大きな注意点があります。それは、「偽善」です。  私たちは、幼い時から、親、大人にほめられようとして、「善・・・ [2019年08月20日]
「真理の霊」    ヨハネによる福音書16章12~15節
 今日は復活節最後の主日ですが、復活の主はすでに地上におられません。毎年のように、祈りを熱くしてこの時を過ごしましょう、と言っていますが、今年は少し角度を変えて、イエスさまの、一連の最後の出来事を俯瞰してみたいと思います。  ・・・ [2019年08月20日]
[1970年01月01日]
「祈り合う教会」  ヤコブの手紙5章13~16節
 私の母教会では、夕礼拝が行なわれていました。以前もお話ししましたが、そこでは信徒の証が行なわれていました。もちろん、日常に経験した小さな信仰の出来事も話されましたが、ときどきいわゆる「罪の告白」がなされました。そのおかげで私・・・ [2019年08月02日]
「少年ダビデ」  サムエル記上16章10~13節
 私自身もそうでしたが、子どもたちはいわゆる「ヒーローもの」が好きなように思います。ですから、教会学校では、いろいろある教材の中で、少年ダビデがペリシテ人の戦士ゴリアテ(新共同訳ではゴリアト)を倒す、17章の物語が人気があった・・・ [2019年08月02日]
「心の叫び」  エステル記4章1~3節
 今年は降誕節が長く、本来ならうれしい時をずっと過ごせると考えていたのですが、人間の思いと神さまの思いは、やはりちがったようです。  6日(水)には、レント(受難節)に入ります。「灰の水曜日」と呼ぶわけですが、今年はその「灰」・・・ [2019年03月06日]
「子どものように」  マルコによる福音書10章13~16節
「子どものように」          マルコによる福音書10章13~16節    今日の聖書の個所には、イエスさまが子どもたちを祝福されるということが記されています。イエスさまのところに子どもたちを連れて来た人たちを、イエスさまの弟・・・ [2019年01月22日]
「恵みを示される」  ルカによる福音書1勝5~25節
 今日の聖書には、洗礼者ヨハネの父となる祭司ザカリアと母となるエリサベトについて記されています。「二人とも神の前に正しい人で、主の掟を守り、非の打ちどころがなかった。」と6節に記されています。主の前に正しく生きて来た祭司と妻で・・・ [2018年12月18日]
「信じるということ」  マルコによる福音書9章14~32節
 病気の子どもをイエスさまの弟子は癒せず、そのことで、律法学者たちと議論をし、その周りに大勢の群衆がいました。そこへ、イエスさまが3人の弟子たちとともに山から下りて来られました。イエスさまは議論をしている理由を病気の子どもの父・・・ [2018年11月19日]
「一粒の麦」  ヨハネによる福音書12章24節
 今日は聖徒の日・召天者記念礼拝を守っています。  児島教会に赴任してから約4年半になりますが、その間5名の方を天に送りました。また私事では、児島に引っ越してから1週間後に弟が急死するということがありました。亡くなられた方々を思・・・ [2018年11月06日]
「神の痛み」  ヨハネによる福音書11章33~37節
 長い聖霊降臨節が終わり、今日から降誕前に入ります。遠くにクリスマスを見据えながら一つ一つの歩みをすすめて行きたいと思います。クリスマスというと「喜び」の出来事ですが、しかしその土台には、神の痛みがあったということも覚えておか・・・ [2018年10月30日]
「満たされるということ」  マルコによる福音書8章1~10節
 教会で一番大切なことはもちろん礼拝です。そして、あまり言われませんが、第二に大切なことは、礼拝後や集会や行事の時に持たれる、共に食事やお茶をいただきながらの交わりであると思います。礼拝と交わりの時を大切にすることによって、心・・・ [2018年10月12日]
wcc
「突風」  マルコによる福音書4章35~41節
 私たちの人生の中でも「突風」が吹くような出来事があることと思います。思いもしなかった挫折、突然起きた不幸、そういった事柄の中で、突風が私たちの中に吹き荒れるのではないかと思います。私た・・・ [2018年09月21日]
「愛と平和」  ヨハネの手紙一5章1~5節
 今年も平和聖日を迎えました。何を話すべきか、いろいろと黙想していると、なぜか「愛」という言葉が浮かんで来、そして次に「愛と平和」という言葉が浮かんで来ました。地に「平和」を実現するために神さまがイエスさまを通して示された道、・・・ [2018年09月18日]
「食事を共にする」  マタイによる福音書9章9~13節
 木曜日から土曜日にかけて大雨特別警報が出るほど、大量の飴が降りました。こんなに長く強い雨は、私の人生の中でも始めてのことでした。代務をしています新見では市内全域に避難指示が出されました。予定していました第1土曜日の礼拝はお休・・・ [2018年09月04日]
「神に感謝」 テサロニケの信徒への手紙一5:16~12
 先週は花の日礼拝を捧げ、その後花の日の訪問をすることができ、本当に感謝なときを持つことができて良かったです。長い人生の経験、信仰生活から多くのことを教えられます。  いつも訪問に行って、多くの信仰の先達の姉妹兄弟から教えられる・・・ [2018年08月31日]
「愛なくば・・・」  コリントの信徒への手紙一13:1~3
 今日は花の日です。「花」にはいろいろな意味を持ち、様々な場面で使用されますが、その多くの場合、そこには「贈る側」の「贈られる側」への愛が込められているように思います。そういう意味で、花は愛の象徴であると言うことができるかも知・・・ [2018年08月28日]
説教題 「空の鳥を見よ」 マタイによる福音書6章25~34節
 今日の聖書は、いわゆる「山上の説教」のひとつの大きなヤマ場です。19節から24節までに教えられた「神と富」とについての結論にあたるところです。「食べる事」と「着る事」を引き合いに出し、それらが私たち人間に必要なことは、神さまがよ・・・ [2018年08月08日]
「荒野で叫ぶ者」 マルコによる福音書1章1~8節
 荒野というのは過酷な場所であり、また人々の日常から離れたところでした。ヨハネ以外にも荒野で宗教生活をするグループがあったようですが、一般民衆とは関わろうとすることはなかったようです。ヨハネが一人で荒野に現れて叫んだことは画期・・・ [2018年04月26日]
「さあ、始めよう」  ヨハネによる福音書20章30~31節
 イースターおめでとうございます!いつの日か、メリークリスマス!と同じようにハッピーイースター!と言える日が来ることを祈りつつ、今日の礼拝をささげて行きたいと思います。  今日から2018年度が始まりました。大変な事の多い、変化の・・・ [2018年04月06日]
「すべては神のご計画」 ヨハネによる福音書12章9~11節
 今日は、教会創立70周年記念礼拝であり、棕櫚の主日礼拝でもあり、さらに2017年度最後の礼拝でもあります。ほんとにいろんなことがあった今年度でした。        ― 中 略 -    今日の聖書は、イエスさまがエルサレムに入城さ・・・ [2018年03月30日]
「神の国を求めて」 ルカによる福音書12章22~34節
 今日の聖書の個所は大変有名な箇所であり、「空の鳥」「野の花」に関するたとえ話から始まり、「食べ物」「飲み物」に「思い悩むな」というイエスさまの素晴らしい言葉のオンパレードのようなところです。            -中略ー ・・・ [2018年03月30日]
「平和への道」  マタイによる福音書5章9節
 昨日、無事に帰って来ることができ、こうして皆さんと共に礼拝をささげることができることを、神さまと皆さんに心から感謝いたします。アッシジでは、本当にいろいろなことを思わされ、得難い「糧」を得られました。行く前に映画を2本観てか・・・ [2018年03月20日]
「新しい光」  マタイによる福音書4章12~17節
 早いもので、新しい年を迎えて3週間になりました。一年は52週なので、すでに5%以上を終えたことになります。このまま行ってしまうと気が付いたら今年も終わりを迎えようとしていたりするかもしれません。しかしすべてのことには「時」があ・・・ [2018年01月22日]
「心を新たにして」 ローマの信徒への手紙12章1~8節
 今年は1月2日に鷲羽山の山頂まで初めて行きました。体力がかなり落ちていて、展望台から山頂までは普通なら10分で行くらしいのですが、私の場合は、休み休みに行って、ようやく山頂にたどりつきました。本当は途中でやめたくなったのですが・・・ [2018年01月22日]
「ヨセフの愛」 マタイによる福音書1章18~25節
 先週のアドベント第1主日礼拝で、平島禎子牧師が「マリアの信仰」について詳しく教えて下さいました。救い主イエス・キリストの誕生はマリアの信仰なしには成就しませんでした。  私たちの信じるヤハウェの神は、人と共に働かれる神です。人・・・ [2017年12月13日]
「時を知る」 マルコによる福音書13章32~37節
 コへレトの言葉(旧伝道の書)3章には、すべてのことに時がある、ことが記されています。私たちは大きな時の流れの中で、個人としても全体としても生きている存在です。  しかし私たちはなかなかその時を知ることができません。多くの場合、・・・ [2017年11月21日]
「 叫ぶ 」 マルコによる福音書10章46~52節 
「叫ぶ」 マルコによる福音書10章46~52節  今日の聖書の箇所は、イエスさまのエルサレムへの旅の終わりに近いエリコという町を通り、その町を出ようとした時のことが記されてます。そこには、目が見えないバルティマイの癒しがなされた物・・・ [2017年11月15日]
「分かち合う共同体」 使徒言行録2章43~47節
「分かち合う共同体」 使徒言行録2章43~47節  今、私たちは、児島教会に連なる38名の召天者のみなさんと共に、記念の礼拝をささげています。このとき、新たな思いをもって、児島教会の現在、過去、そして未来に思いを馳せたいと思います・・・ [2017年11月07日]
「苦しみの中にあっても」 詩編41篇1~14節
「苦しみの中にあっても」 詩編41篇1~14節  私たちは病からであれ、人間関係からであれ、苦しみを受けることがあります。私も最近、病からと人間関係からくる苦しみを受けました。長く大丈夫だった喘息の咳が出たり、FB上で傷つけられる・・・ [2017年09月26日]
「私たちの中に」 エレミヤ書31章31~34節
「私たちの中に」 エレミヤ書31章31~34節 エレミヤ書では、「民の心がかたくなで悪い」と繰り返し語られています。エレミヤは人間の罪深さと格闘した預言者でした。神はかたくなで悪い心を持つ「罪深い民」を救うために根源的なことをなさ・・・ [2017年06月13日]
「聖霊の賜物」 コリントの信徒への手紙一12章4~7節
「聖霊の賜物」 コリントの信徒への手紙一12章4~7節 ペンテコステおめでとうございます。 本来なら、ハッピバースデー トゥ 教会 と言うべきかもしれません。今から約2000年前に、復活の主が約束された聖霊が降臨し、この地上に教・・・ [2017年06月13日]
「祈り合う教会」 ヤコブの手紙5章13~18節
「祈り合う教会」 ヤコブの手紙5章13~18節 日本の社会では「祈り」は自分の願いや望みということに重点が置かれていると思います。英英辞典で調べてみると、祈りprayという言葉には、commune with God神と親しく語り合うという意味があり・・・ [2017年05月08日]
「イエスとつながる」 ヨハネによる福音書15章1~5節
「イエスとつながる」 ヨハネによる福音書15章1~5節 洗礼を受けてすぐの頃、「ぶどうの木」のたとえは、私がとても好きな聖句でした。しかし、その頃は、木の「幹」がイエスさまで私たちが「枝」という、この関係、感じ、が何ともいい感・・・ [2017年05月01日]
「信じる者に」 ヨハネによる福音書20章24~29節
「信じる者に」 ヨハネによる福音書20章24~29節 イエスさまが復活された日の夕方に、イエスさまは鍵をかけた家に閉じこもっていた弟子たちのところへ現れられました。弟子たちは喜びに満たされましたが、そこにはトマスという1人の弟子はい・・・ [2017年04月26日]
「ガリラヤで会おう」 マルコによる福音書16章1~8節
「ガリラヤで会おう」 マルコによる福音書16章1~8節 イースターおめでとうございます! 長い受難節をようやく終え、イースターの良き日を迎えることができ、心から神さまに感謝します。私たちは毎年のように、こうして喜びの日として・・・ [2017年04月17日]
「先頭に立つイエス」 マルコによる福音書10章32~34節
「先頭に立つイエス」 マルコによる福音書10章32~34節 今日は2月の最後の日曜日で、また降誕節も最後になります。今週の水曜日、3月1日は灰の水曜日で、4月15日までレント(受難節)となります。わたしたちの児島教会では、この克己のと・・・ [2017年02月28日]
「ついて来なさい」 マルコによる福音書1章16~20節
「ついて来なさい」 マルコによる福音書1章16~20節 キリスト者としての歩みは新興宗教のようにマニュアルがあるわけではありません。信仰者として一人一人が神から召しを受けて、自分でなければできない歩みをなしていかなければなりませ・・・ [2017年02月21日]
「神の選び」 ガラテヤの信徒への手紙1章11~14節
「神の選び」 ガラテヤの信徒への手紙1章11~14節 クリスチャンになる、洗礼を受けるということは、人間的な思いが一切入ってはいけません。「神の選び」によってなせるものなのです。このことはクリスチャンになって教会生活をするという・・・ [2017年01月24日]
「『裁き』から『救い』に」 ヨハネによる福音書3章16~21節
 「『裁き』から『救い』に」 ヨハネによる福音書3章16~21節  アドベントクランツの三本のロウソクに火がともりました。  8日(木)早朝、鴨居シヅエ姉が天に召されました。ご遺族の御意向で、家族葬というかたちで葬儀を行いました。 ・・・ [2016年12月20日]
「救いの約束」 イザヤ書52章7~10節
「救いの約束」 イザヤ書52章7~10節  イザヤ書52章7節には、「いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いをつげ、あなたの神は王になられた、とシオンに向って呼ばわ・・・ [2016年11月29日]
「教会の働き」 マタイによる福音書9章35~38節
「教会の働き」 マタイによる福音書9章35~38節  イエスの周りには、「飼い主のいない羊のような弱り果て、打ちひしがれている群衆が」が大勢いました。イエスはそのような群衆を御覧になり、深く憐れまれました。この「憐れむ」という言・・・ [2016年10月26日]
「忍耐する信仰」 ヤコブの手紙5章7~11節
「忍耐する信仰」 ヤコブの手紙5章7~11節  今日は世界聖餐日・世界宣教の日です。世界に思いを馳せていたら、なぜかヤコブの手紙が思い浮かびました。ヤコブの手紙は、み言葉を聞くだけでなく、行う者になりなさい、とか、行いを欠く信仰・・・ [2016年10月04日]