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「愛なくば・・・」  コリントの信徒への手紙一13:1~3

 今日は花の日です。「花」にはいろいろな意味を持ち、様々な場面で使用されますが、その多くの場合、そこには「贈る側」の「贈られる側」への愛が込められているように思います。そういう意味で、花は愛の象徴であると言うことができるかも知れません。
 私たちが信じる神さまは、愛の神です。ですからきっと花々をたうさえ、共に礼拝をささげ、そして訪問をする、というのは神さまの喜ばれることだと思います。そして、同時に私たち自身も大きな喜びに包まれるように思います。
 今日の聖書は、大変有名な「愛」に関してのパウロの教えです。愛してやまないコリントの教会が、成長とともに、分裂していることに心を痛めたパウロは、最高の道として「愛」を説いたのです。どんなにものすごい賜物を神から与えられていたとしても、どんなに完全な信仰を持っていたとしても、命させ差し出したとしても、もしそこに愛が無いなら、何の益もない、とパウロは言い切っています。
 彼はもともと迫害者でした。しかし復活の主と出会い、回心し、そしてそれまでの罪をゆるされた者として、つまり神の大いなる愛を身をもって体験した者として、愛の大切さを強く訴え、説いたのです。
 私たちが生きている時代とは、価値観や社会の在り方や、その他多くのものが全く異なる時代でした。しかし、そのような時代の中にあっても、主イエスによって示された愛は、文字通りの神的な影響を人々に与えたのだと思います。
 私たちは、日々の歩みの中で、自分のことに精一杯で、なかなか他者のことまで心を用い、時間を用いることの少ない者ですが、愛の主イエスに救われた者として、少しでも、愛の業を行って行きたいと思います。
 そしてこの世に最も大切なものは、愛であることを、愛がなければ、愛なくば一切は虚しいことを、人々に語り続けて行く者でありたいと思います。

2018年6月17日 花の日礼拝 笹井健匡牧師

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