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 愛することが大切なことであり、究極の信仰目標と言ってもいいのですが、しかし現実は、なかなか難しいことが多いのです。イエスさまは「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)と唯一の掟を与えられましたが、なかなかできないのがわたしたちです。
 今日の聖書は、今年の信仰目標の土台となっている年間聖句のところです。正式には定期総会を経て決定されますが、今日はここから愛するにはどうすればよいか、そのヒントをいただきたいと思います。
 最初に、「復讐してはならない。」と記されています。日本でも「仇討ち」というものがありましたが、この古代社会の中で、「復讐」を明確に禁じているのはすごいことだと思います。また続けて「恨みを抱いてはならない。」と記されています。そして自分自身を愛するように愛しなさい、というのです。
 13節から隣人に関することが多く書かれています。「虐げてはならない。」「奪い取ってはならない。」に始まり、「偽証をしてはならない。」「憎んではならない。」といろいろと教えられています。この土台には、あのモーセの十戒があります。最後の二つに「隣人」という言葉が出てきます。(出エジプト20:16~17)
 イスラエルの民は、同胞同士の中で、いかに神を信じ、従い、神に喜ばれる生き方をするか、という視点から、また小さな民族としていかに自分たちの存在を未来へとつなげていけるか、という視点から愛する方法を考えていたのかも知れません。そこが出発点だったのかも知れません。
 ずっと後には「あるサマリア人のたとえ」(ルカ10:25~37)にあるよに、イエスさまは、自分から「隣人になりなさい。」と言われました。しかしまだ旧約のこの時代ではそこまでは行きません。ただ、様々な悪しきことをしてはならない、という教えは、やはり愛する方法の基本なのかも知れません。相手を尊重し、大切にするということは、相手に「善」を行うことであり、逆に「悪」を行わないことであるからです。
 現代は、多くの残虐な事件が発生し、「金」「力」が暴走し、愛が冷えているようにも感じます。しかし、神の愛を知らされ、互いに愛することの大切さを知っている私たちは、主イエスが私を愛して下さったように、少しでも周りの人々を愛して行く歩みを、新年度も共にすすめて行きたいと思います。

2019年4月7日 受難節第5主日礼拝 笹井健匡牧師      

説教題 「尊敬し合う」    聖書:ローマの信徒への手紙12章9~21節

 今日は児島教会の創立を記念してささげる礼拝です。信仰の先達たちに思いを馳せ、その繋いで下さった信仰をあらためて心に深く刻みたいと思います。
 キリスト教の信仰の特徴は、なんといっても「愛」です。今日の聖書の最初の言葉も「愛」から始まっています。現代では広く普及する言葉となりましたが、キリスト教の愛の性質の中に、いろいろと大切な要素があります。パウロはコリントの信徒への手紙一13章4~7節で、いろいろと「愛」の特徴を記しています。私はそれに、今日の聖書にある「尊敬」もあると思います。
 今日の聖書は、大変内容が豊かなところで、10種類くらいのメッセージが可能だと思いますが、今日は最初の部分に注目したいと思います。イエスさまは、最後の晩餐のとき、弟子たちの足を洗い、そして「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と言われました。そこには身分や階級や社会的地位を越えて、相手を尊敬し、仕えるように愛しなさい、というメッセージが込められているように思います。
 10節で、パウロも「相手を優れた者と思いなさい」と言っています。イエスさまによって、「愛」は上から下への憐みではなく、相手を尊敬し、互いに仕え合うものへと変えられたのだと思います。
 誕生したばかりの教会は、この愛と信仰に燃えて、燎原の火のごとき伝道を、聖霊に導かれて為して行きました。
 日本でもいわゆる「明治維新」、そして戦後の一時期には、熱い伝道が各地でなされ、新しく多くの教会が誕生しました。今は、そうした時期を経て高齢化がすすみ、さまざまな懸念の声が聞こえてきます。しかし私たちは、たとえどんなに状況が変化しようとも、大きな艱難があろうとも、イエスさまが教えて下さった「尊敬し合う愛」を、互いに大切にしながら信仰の道を歩んで行きたいと思います。
 先達たちの働きを想い起し、今もきっと天から見守っていて下さることを心に感じながら、互いに支え合い、助け合いながら教会の歩みを、一人ひとりの歩みをすすめて行きたいと思います。

2019年3月31日創立71周年記念(受難節第4主日)礼拝 笹井健匡牧師