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「愛する方法」  レビ記19章18節

 愛することが大切なことであり、究極の信仰目標と言ってもいいのですが、しかし現実は、なかなか難しいことが多いのです。イエスさまは「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)と唯一の掟を与えられましたが、なかなかできないのがわたしたちです。
 今日の聖書は、今年の信仰目標の土台となっている年間聖句のところです。正式には定期総会を経て決定されますが、今日はここから愛するにはどうすればよいか、そのヒントをいただきたいと思います。
 最初に、「復讐してはならない。」と記されています。日本でも「仇討ち」というものがありましたが、この古代社会の中で、「復讐」を明確に禁じているのはすごいことだと思います。また続けて「恨みを抱いてはならない。」と記されています。そして自分自身を愛するように愛しなさい、というのです。
 13節から隣人に関することが多く書かれています。「虐げてはならない。」「奪い取ってはならない。」に始まり、「偽証をしてはならない。」「憎んではならない。」といろいろと教えられています。この土台には、あのモーセの十戒があります。最後の二つに「隣人」という言葉が出てきます。(出エジプト20:16~17)
 イスラエルの民は、同胞同士の中で、いかに神を信じ、従い、神に喜ばれる生き方をするか、という視点から、また小さな民族としていかに自分たちの存在を未来へとつなげていけるか、という視点から愛する方法を考えていたのかも知れません。そこが出発点だったのかも知れません。
 ずっと後には「あるサマリア人のたとえ」(ルカ10:25~37)にあるよに、イエスさまは、自分から「隣人になりなさい。」と言われました。しかしまだ旧約のこの時代ではそこまでは行きません。ただ、様々な悪しきことをしてはならない、という教えは、やはり愛する方法の基本なのかも知れません。相手を尊重し、大切にするということは、相手に「善」を行うことであり、逆に「悪」を行わないことであるからです。
 現代は、多くの残虐な事件が発生し、「金」「力」が暴走し、愛が冷えているようにも感じます。しかし、神の愛を知らされ、互いに愛することの大切さを知っている私たちは、主イエスが私を愛して下さったように、少しでも周りの人々を愛して行く歩みを、新年度も共にすすめて行きたいと思います。

2019年4月7日 受難節第5主日礼拝 笹井健匡牧師      

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