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「喜び祈り感謝」 テサロニケの信徒への手紙一5章16~22節

 2024年度は、昨年度末にすでにイースターを迎えて、復活節から始まりました。苦難があっても、何度でも復活して、新しく歩みだして行く一年にしたいと願います。

 2014年度の信仰目標は、『いつも喜び 絶えず祈り どんな事にも感謝』でした。10年経って、あらためてこのことを心に覚えながら、再出発したいと思います。

 テサロニケの信徒への手紙は、一番若い、パウロの気持ちをよく伝えてくれている手紙です。晩年のローマの信徒への手紙等の重々しさはなく、希望に満ち、先に先にと伝道の歩みをすすめて行くパウロの姿が見えるようです。

 「喜び」については、他の手紙でもたびたび言及しています。フィリピの信徒への手紙は、喜びの手紙と呼ばれています。特に4章4節では、喜びが最高に強調されています。獄中にありながら、彼自身も喜びにあふれ、そのあふれる喜びを他の信仰者にもすすめているのです。使徒言行録16章25節以下には、獄中で賛美の歌をうたって祈っていた時、大地震が起こり獄の戸がみな開いて囚人の鎖もはずれたことが記されています。賛美、つまり神を喜ぶことが、いかに大きな信仰の力であるかを示しています。(使徒5:41も参照)

 「祈り」については言うまでもありません。今回ひとつ示されたのは、定時の祈りの大切さ、それとともにふだん生活している中での、瞬間的な祈りも大切だということです。いろんな人、物事と出会い、喜怒哀楽を覚えるとき、一番に神に祈ることができればいいなあと思いました。特に、怒りを覚えるとき、最近ではよく6秒待って、と言われますが、私たち信仰者で言えば、まず6秒神に祈ってから怒るようになれたら、なんとすばらしいことでしょうか。

 「感謝」について思うのは、目の前で起きていることだけに心を奪われると、感謝できないこともありますが、信仰生活を何十年も続けていると、後で腑に落ちて、どんなマイナスのことであっても、最終的に神のはからいとして、感謝できるという経験をみなさんもお持ちだと思います。

 私たちは自分の人生を喜びをもって生きて行きましょう。その人生には伴侶として、友としてイエスさまがおられます。そのイエスさまと対話して、つまり祈って生きて行くとき、すべてのものは感謝に変えられ、まわりの世界は輝くのだと思います。ともに喜び祈り感謝の一年にして行きましょう。

 

     2024年4月7日 復活節第2主日礼拝 笹井健匡牧師


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