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「見ないで信じる」 ヨハネによる福音書20章24~29節

 イースターおめでとうございます。棕櫚の主日(4月2日)から始まった2023年度は、2度目のイースターで終わります。振り返ると、内にも外にもいろいろなことがあった一年でした。

 あらためて今日の聖書のトマスとイエスさまのやりとりから、復活の意味を、そして信仰の意味を考えたいと思います。

 大きな背景で考えると、ヨハネ福音書が書かれた1世紀末には、すでに復活の証人たちは、みんな天に帰っていました。教会での、信仰の継承の上で、最も大事だったのは、口伝による言い伝えでした。福音書の最後の数節に登場する「イエスの愛する弟子」の遺産をまとめたのが、このヨハネ福音書です。

 今日の聖書は、「イエスの愛する弟子」が書いたものの、最後のまとめの部分だと思います。彼は最後の最後の言葉を「見ないで信じる人」としました。「信じる人」は、複数形です。彼は、1世紀末の人々に向かって、もはや復活の主を見ることはできない。けれども多くの信仰の先達たちがいるではないか。その人たちから「聞いて」信じる者になりなさいと訴えているのです。

 25節にあるように、トマスは、ほかの弟子たちの復活の証言を聞きましたが、信じませんでした。イエスさまはそのトマスに、まことの信仰を伝えるため、八日の後(26節)、再び弟子たちのところへ現れられたのです。そして見ないで信じる者になりなさい。つまり、聞いて信じる者になりなさいと言われました。

 わたしたちは人生の歩みの中で、同じようなことを経験するのではないでしょうか。あれこれ迷い、どうしても確信が得られない、確かな証拠、保証があれば、信じて実行できるのに、と。しかし、保証があり、絶対大丈夫ということが分かっていることを、「信じる」というのは、本当に「信じる」ことなのでしょうか。常識ではなかなか理解できない、いろいろ考えても答えが出ない、そんな中、心の深いところから湧き出てくる何か、あるいは天から言われたように感じる何か尊い感覚、言わば心の声に耳を澄ませ、それに従い、結果を見ずとも、信じて踏み出して行くとき、道は大きく開かれるのかも知れません。

 2023年度の歩みを糧として、明日からスタートする2024年度を、復活節の時として、イースターの喜びを心に持ちながら、信仰を持って歩んで行く者でありたいと思います。

 

 2024年3月31日 イースター礼拝  笹井健匡牧師


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