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「証人の群れ」 ヘブライ人への手紙12章1~3節

 今年もこうしてご遺族の皆さんと共に、聖徒の日・召天者記念礼拝をささげることができることを心から感謝いたします。また児島教会の、このひとまわりは、幸いにも新しいお写真がここに加わることはありませんでした。感謝です。

 しかし個人的には、親しい方々を天に送られた方もおられるのではないかと思います。私自身も、連れ合いの平島禎子牧師の父を1月に天に送りました。また不思議な事に、その二日後には30年来の知り合いだった牧師が天に帰られました。また7月には、お二人の既知の牧師が天に帰られました。

 今日の聖書には、「おびただしい証人の群れ」という言葉が出て来ます。旧約時代のたくさんの信仰者たちが念頭にあります。「おびただしい」と訳されている言葉には、もともと「雲」という意味があります。他の聖書では「雲のように多くの」等に訳されています。

 宮田教会(福岡県)時代、一番の長老の女性がよく口にされていた言葉が思い出されます。

“先に天に帰られた方々が、「今日はどの雲のベッドで寝ようかねえ、あの雲にしようか、この雲にしようか」、と言っておられるように思います。”

助産師として多くの出産に立ち会われ、晩年は毎日のように畑を耕しておられました。雲を見ながら、天の故郷に思いを馳せながら、人生の晩年を生きておられたのだと思います。

ここに44名の召天者のお写真があります。聖書が記す旧約の証人と共に、また個人的に関係のある多くの証人と共に、この児島教会の、イエス・キリストの証人です。証人という言葉は、信仰の歴史の中でさらなる重みを増し、殉教者という意味合いを持つようになりました。

この手紙を受け取った信仰者たちは、わりと恵まれた時代に生きていました。それでも「気力を失い疲れ果てて」しまいそうになっていました。どこか私たちと似ているのかも知れません。著者は、そのような者こそ、しっかりとイエスを見つめるように教えるのです。

信仰の対象であるイエスをしっかりと見つめながら、そしてそのイエスを信じ、証人として生きた雲のように多くの信仰の先達たちの群れを心に抱きながら、それぞれの人生を、定められた時まで、精一杯に生きて行く者でありたいと思います。

 

2024年11月3日 聖徒の日・召天者記念礼拝 笹井健匡牧師


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