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「この道を歩む」 使徒言行録25章1~12節

 実家の私の部屋には、「道もない。峠を越えて、里がある。」「この道より、我を生かす道なし。この道を歩む。」という、小さな安い額が掛けてありました。後者は、最近になって、武者小路実篤の作品だと判明しました。まだ若き日に、彼の「新しい村」について知っていたので、その影響かも知れません。実際のところは分かる由もなく、海馬の奥深くに眠っているようです。

 1月に亡くなった平島禎子牧師の父の葬儀で、個人の愛唱歌として、「マイウェイ」の演奏があり、久しぶりに記憶が少し蘇りました。

 今日の聖書は、パウロが皇帝に上訴する場面です。フェリクスに代わって総督になったフェストゥスの前で、ユダヤに対しても、ローマに対しても無罪であることを弁明したパウロは、エルサレム行きを拒否して、最後にローマ皇帝に上訴します。(8節、11節)

3回にわたる宣教旅行を終え、エルサレムに行ったパウロは、21章で逮捕されてから、事あるごとに長い弁明をしています。特に逮捕直後の22章とローマ出発前、26章のアグリッパ王の前では、回心について、つまり無実の弁明だけではなく、イエス・キリストの証まで、朗々と訴えています。しかし今日のところでは、その「おしゃべり」なパウロが、口数少ないのです。

直前の24章27節によると、パウロは2年もの間、カイサリアに監禁されていたことが分かります。この2年が、彼の覚悟を決めたのかも知れません。つまりローマに行く決意を固くした彼は、上訴以外のことは語らなかったのです。

非常にユニークな推測が、ひとつあります。それはこの2年間、著者のルカがパウロと共にいて、そこでルカによる福音書の基となる書物を書いた、というものです。イエスさまの生涯を二人で振り返ったパウロは、ローマ行きを決然と決行する決心がついたのではないかというのです。

人の一生は、本当にそれぞれ多様性に満ちています。パウロにとって宣教者としての生涯を全うする道が、ローマへの道だったのかも知れません。

ここにいます私たちも、それぞれに現在まで、主に導かれ、守られて歩んで来ました。これからも、それぞれの道を歩んで、生涯を完成させたいと思います。わたしは、この道を歩む。どんなことが起ころうとも、神さまからいただいた、そしてそれを受け入れて自らの道として歩む決意をしたこの道を、最後まで主に導かれ、守られて歩みぬいて行きたいと思います。

 

2024年9月29日 聖霊降臨節第20主日礼拝 笹井健匡牧師


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