長い聖霊降臨節の最後の主日を迎えました。教会歴は、次週よりいよいよ降誕前に入ります。遠くにクリスマスを見据えながら、聖霊降臨節、つまり教会の時を思い返したいと思います。
今日の聖書は、使徒言行録の最後のところです。荒海を越えて、ローマに到着したパウロの様子を記して使徒言行録は幕を閉じます。23~28節は、パウロの宿舎での、ユダヤ人との2回目のやりとりが記されています。長い時間をかけて聖書を用いてイエスについて説得しますが、ユダヤ人たちの反応は信じる者と信じない者に分かれました。そこでパウロは最後にイザヤ書を引用して福音が異邦人に向けられたと語りました。(もちろんパウロはユダヤ人のつまずきは一時的で、異邦人の救いの為であり、異邦人全体が救われれば最後にイスラエル全体も救われると信じていました(ローマ11:25~32)。)
ここで注目すべきは、預言者イザヤを通して語ったのは、実は聖霊だと言うことです(25節)。聖霊と言うと、新約の三位一体の神を思い浮かべますが、実際には旧約の時代から預言者、士師、その他の人々を通して語り、働いて来ていたのです。それがヨエルの預言にあるように、ペンテコステを経て、あらゆる人々に、一般の信仰者に広がりました。
ルカは使徒言行録の前半をペトロを中心に、そして後半をパウロを中心に記していますが、それは決して代表的な信仰者の「人」を描き、その伝記のようなものを記したのではありません。あくまでその「人」を通して働かれた、聖霊を記したのです。
以前の口語訳聖書では使徒言行録は、使徒行伝となっていました。そのときよく言われたのが、使徒行伝は決して有名な使徒たちの働きの記録ではなく、聖霊の働きの記録であり、その意味では「聖霊行伝」と呼ぶのがより正確だというものでした。
ルカがパウロの最後を記さなかったのも、聖霊の働きはこれからも続き、今度は今を生きている自分たち(ルカを含む)を通して働かれる、そしてずーっと受け継がれて行くことを示したかったからだと思います。
ここにいます私たちも、その聖霊の働きを担って生きているのです。その豊かな導きと守りを信じて、信仰の歩みを共に祈り合い、励まし合いながら進めて行く者でありたいと思います。
2024年10月20日 聖霊降臨節第23主日礼拝 笹井健匡牧師