6月30日を迎え、2024年も前半を終了します。能登半島地震から始まった大変な半年ではありましたが、その中でもこうして皆さんと共に今日を迎えられたことを神さまに感謝します。
今日の聖書は、唯一女性の弟子(弟子という言葉の女性形)という言葉が登場するところです。リダでアイネアを癒したペトロが招かれ、タビタを生き返らせたのです。このタビタが女性の弟子と言われていました。タビタというのは「かもしか」という意味のニックネームでした。かもしかというと、ニホンカモシカを思い起しますが、これはおそらくアフリカ等に生息しているガゼルのことだと思います。鹿の仲間で、細く、大変俊敏な動物です。タビタはおそらくガゼルのように忙しく奉仕の業に走り回っていたのではないかと思います。
残念ながら、タビタに関して詳しく知ることはできませんが、同じ著者が記したルカによる福音書から、想像をたくましくすることができます。
イエスの弟子に関して、ルカ福音書では、12人を選び(6:12~)、派遣し(9:1~)、さらに72人を任命して派遣しています(10:1~)。実は、その間に、8章の記述があります。そこには多くの女性たちが12弟子と一緒にイエスさまの宣教に伴っていることが記されています。もしかしたらタビタは生前イエスさまの宣教に同行し、その中で弟子と呼ばれる存在になっていたのかも知れません。いずれにしても、彼女が男性の弟子たちに匹敵する働きをしていたのは確かなのではないかと私は思います。
この驚くべき奇跡が行われたのは、ヤッファという町でした。そこにペトロという男性のイエスの弟子がやって来て、タビタという女性のイエスの弟子を生き返らせたのです。その後、ペトロは皮なめし職人のシモンという「罪人」の家に宿泊し、そこで幻を見て、そこから異邦人への伝道が開かれて行ったのです。
「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました(10:34)。」この思いにペトロが達することができた最初が、女性の弟子タビタを生き返らせたことでした。おそらく生き返ったタビタの証が、ヤッファの人々、またペトロの心を大きく揺さぶったのだと思います。
ここにいます私たちも皆、イエスの弟子です。イエスの弟子は性別や、出自・職業や、国籍等を越えた、聖なる者です。2024年後半も、信仰を熱くして、一人ひとり、イエスの弟子としての歩みを前に進めて行きたいと思います。
2024年6月30日 聖霊降臨節第7主日礼拝 笹井健匡牧師
今日は沖縄慰霊の日です。79年前の沖縄戦に思いを馳せ、あらためて平和への思いを新たにしたいと思います。
今日の聖書は、エフェソの信徒への手紙の中心的なメッセージが記されているところです。パウロは、エフェソの異邦人のクリスチャンに対して、自分を含めたユダヤ人のクリスチャンとの一致、平和(和解)を熱弁しています。
パウロは、キリスト以前には、確かに隔ての壁があったことをまず認めます。割礼の有無、律法による分断、その他多くの壁が存在していました。そうした他民族、他者に対して壁を築く社会は、結局は、内部でも様々な壁を生んでいました。神殿はその象徴です。ここまでは異邦人も入れる、次はイスラエルの民なら女性も入れる、次は祭司たちだけ、至聖所に至っては、年に一回、大祭司だけが入ることができる、というふうに。
イエスさまはそうしたユダヤ教の差別的な状況に対して、否を言われたのです。特に、さらに共同体から排除されていた、「罪人」や難病の人たちに、神さまの救いを宣言されたのです。それを受けて誕生した教会は多くの「みなしご」、「やもめ」たちを包含していました。世界伝道がなされて行く中で、教会を二分する、ユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンの問題が顕在化して行きました(ガラテヤ2:11~14)。特にエフェソにおいては、パウロ自身、2年もの伝道をした実感から、両者の一致の、大変さと大切さを痛感していたのだと思います(使徒言行録19:8~10)。
そして、ユダヤ人クリスチャンの一人でもあるパウロは、エフェソの異邦人クリスチャンのために囚人にまでなっていると言います。15節16節に記しているキリストがそうであったように、パウロも和解と一致のために、囚人にまでなっていると言うのです。
最初に言いましたように、今日は沖縄慰霊の日です。糸満市にある平和の礎には、戦没者の名前が刻まれています。国籍、つまり敵、味方は関係ありません。沖縄県出身者について、細かく定められている中に、原爆についても記述があります。沖縄、広島、長崎は、私にとって平和の礎です。
イエスさまがその尊い命まで差し出して勝ち取ってくださったのは、すべての隔ての壁を取り壊し、あらゆる人が神の家族(19節)となる道です。その後を私たちも小さな歩みであっても、イエスさまの愛に応えて平和の歩みを進めて行きたいと思います。
2024年6月23日 聖霊降臨節第6主日礼拝 笹井健匡牧師
聖霊降臨節も第5主日を迎えました。聖霊は見ることができません。そもそも信仰も見ることができません。そして信仰の大切な核である「祈り」も見ることができません。
私たち信仰者は、言わば「見えないもの」を信じて生きている不思議な存在です。今日の聖書は、この後膨大な数の信仰の先達たちを記していきます。約2千年前に誕生した教会にとっては、それは大きな信仰の支えだったのかも知れません。
翻って私たち今を生きる信仰者にとっては、自分が実際に出会って来た信仰者たちこそが、自らの信仰の支えになっているかも知れません。しかし、もはや長い信仰生活を送って来た者にとっては、これまでの自身の信仰の歩みこそが、つまり自分自身こそが、何よりも確かな信仰の証になっているのだと思います。
とはいえ、信仰は見えないものであり、その意味で不確かでもあります。そしてその信仰生活の中心にある「祈り」も、同じ意味で実感を持ちにくい面があります。
それぞれの人生の中で、どのような「祈り」をささげて来られたでしょうか。何度も言葉にしたものもあれば、「思い」のような非言語のままで心深く持ち続けられたものもあるかも知れません。
今日の聖書の1節の冒頭は、「祈り」にも置き換えられると思います。目には見えなくても、望んでいることを確信することが祈りです。祈りが聞かれない、ということをよく聞きますが、本当にそうでしょうか。時に違う形でかなっていたり、また、祈り続けるその行為そのものによって実はすでにかなったと同じことだったりするものです。つまり祈ることによって、過去の自分を越えて、新しい地点に達している、それによって、実は祈りの課題は克服されている、そういうことがあるのだと思います。そしてそうした言わば自身の成長した姿こそ、祈った結果であり、祈りの実と言えるのではないでしょうか。
これからの世界、また私たち一人ひとりの人生もどのようなことが待っているかは分かりませんが、どんな時も、神さまへの祈りをささげ、何があっても祈り続け、それぞれの信仰の歩みを前に進めて行く者でありたいと思います。
2024年6月16日 聖霊降臨節第5主日礼拝 笹井健匡牧師
今日は花の日です。もともとアメリカの教会で始まったものですが、子どもたちを中心にした礼拝がスタートです。6月の第2主日の頃は、ちょうど夏の花が咲き始める頃でもありました。子どもたちにとっては、一学年が終了する時期でもあります。もともとお花をもってそれを祝うことだったのが、その持ち寄った花をもって、病院等の施設を訪問することのようになりました。梅雨の時期である日本の教会では、この「花を持って訪ねる」という愛の業がおおいに受け入れられ今日にいたる、ということのようです。
今日の聖書でイエスさまは、日々厳しい暮らしを送っている人々に対して、その心を軽くさせ、生きる希望を与えられたのだと思います。その際に鳥と花を用いられました。命が食べ物より大切であることを言うのに鳥を、そして体が衣服よりも大切であることを言うのに花を持ちだされました。
花に関しては、あの栄華を極めたソロモンよりも着飾っていると言われました。明日には炉に投げ込まれる、そんなはかない命の野の花でさえ、あのソロモン以上に美しく着飾っているとイエスさまは言われます。そして「思い悩むな」と言われました。
今日の聖書の話は、直前の19節~24節を受けて「だから」と始められています。「神の国と神の義を求めなさい」とは、心を天に、神に向けて生きなさいということです。そうすればすべてのものは整えられ、与えられて、思い悩まずに生きることができると言われたのです。
特に、イエスさまのもとに集まって来ていた人々の中には、文字通り明日をも知れぬ、厳しい状況に置かれている人々も多くいたと思われます。そんな人々にイエスさまは、あなたたちは十分よくやっている、大丈夫だ、神を信じて今日を精一杯生きれば、それでいいんだよと、言われたのではないかと思います。
花のことを思うときに、先日天に召された星野富弘さんのことをあらためて思います。私などが、軽々しく言ってはいけないことですが、大きな事故により、体の自由を失われて、しかしそこから真の心の自由を獲得された富弘さんは、まさに置かれたところで精一杯咲く花のような方でした。
私たちもそれぞれ与えられた場所で、環境で、自らの心の花を精一杯咲かせる者でありたいと思います。そして教会が、そのような花でいっぱいの、笑顔あふれる真の喜びに満ちた場となっていけるよう、祈りたいと思います。
2024年6月9日 花の日 聖霊降臨節第4主日礼拝 笹井健匡牧師
6月になりました。13日で、62歳になります。15歳の時、中学から高校になる春休みに、初めて一人旅をしました。各駅停車に乗って、京都駅から、反時計回りに近畿地方を一周しました。確か約一週間かけて、ほぼ駅前の旅館に泊まる、今思えば何をしているか分からない、「旅」そのものが目的の、「心の旅」だったように思います。
今日の聖書は、アブラハムの旅を記しています。直前に記されている事情と、使徒言行録7章のステファノの言葉から、1~3節の主の言葉は、アブラハムが生まれ故郷ウルですでに聞いていた言葉のように思えます。つまり最初の旅は、父テラを伴ったハランまでの旅ということになります。そして2回目の旅立ちがハラン(すでに大所帯になっている)からカナン地方への旅でした。
シケム、ベテルとアイの間で祭壇を築きますが、アブラハムの旅は更に続き、ネゲブ地方へと移動します。その後も、飢饉の為、エジプトへと行き、追い返され、さらに甥ロトとの別れも経験します。イサクが誕生して、ある意味落ち着くまで、ハラン出発から約25年、四半世紀かかっています。
アブラハムの人生は、一言で言うと、「旅」であったと言うことができます。物理的な移動もさることながら、そのところどころで遭遇したたくさんの経験が、彼の人生を豊かに魅力的なものにし、そして何よりも神さまへの信仰を成長させたのではないでしょうか。アブラハムの生涯は、こうした言わば心の旅こそが人を成長させ、神との関係をも成長させることを雄弁に物語っているように思います。
アブラハムは、人生の旅を通して、神さまの祝福の源となりました。いろいろな経験をすればするほど、人は神を思い、その関係を発展させていくことができるのかも知れません。
ここにいます私たちも、これまで長い人生の旅路を、神さまと共に歩んで来ました。たくさんの試練もありましたが、それを凌駕して余りある多くの恵みをいただいて来ました。しかし、人生はまだまだ終わりではありません。人間的な常識からすると、もうここら辺で、十分良い人生でした、神さまありがとうございました、となるところですが、人生の旅は更に続くのです。今までより、もっとすごいことが待っているかも知れません。いやきっと待っています。
神さまが定められた時まで、人生の旅を、信仰の旅を、心の旅を続けましょう。
2024年6月2日 聖霊降臨節第3主日礼拝 笹井健匡牧師