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「心の旅」 創世記12章1~9節

 6月になりました。13日で、62歳になります。15歳の時、中学から高校になる春休みに、初めて一人旅をしました。各駅停車に乗って、京都駅から、反時計回りに近畿地方を一周しました。確か約一週間かけて、ほぼ駅前の旅館に泊まる、今思えば何をしているか分からない、「旅」そのものが目的の、「心の旅」だったように思います。

 今日の聖書は、アブラハムの旅を記しています。直前に記されている事情と、使徒言行録7章のステファノの言葉から、1~3節の主の言葉は、アブラハムが生まれ故郷ウルですでに聞いていた言葉のように思えます。つまり最初の旅は、父テラを伴ったハランまでの旅ということになります。そして2回目の旅立ちがハラン(すでに大所帯になっている)からカナン地方への旅でした。

 シケム、ベテルとアイの間で祭壇を築きますが、アブラハムの旅は更に続き、ネゲブ地方へと移動します。その後も、飢饉の為、エジプトへと行き、追い返され、さらに甥ロトとの別れも経験します。イサクが誕生して、ある意味落ち着くまで、ハラン出発から約25年、四半世紀かかっています。

 アブラハムの人生は、一言で言うと、「旅」であったと言うことができます。物理的な移動もさることながら、そのところどころで遭遇したたくさんの経験が、彼の人生を豊かに魅力的なものにし、そして何よりも神さまへの信仰を成長させたのではないでしょうか。アブラハムの生涯は、こうした言わば心の旅こそが人を成長させ、神との関係をも成長させることを雄弁に物語っているように思います。

 アブラハムは、人生の旅を通して、神さまの祝福の源となりました。いろいろな経験をすればするほど、人は神を思い、その関係を発展させていくことができるのかも知れません。

 ここにいます私たちも、これまで長い人生の旅路を、神さまと共に歩んで来ました。たくさんの試練もありましたが、それを凌駕して余りある多くの恵みをいただいて来ました。しかし、人生はまだまだ終わりではありません。人間的な常識からすると、もうここら辺で、十分良い人生でした、神さまありがとうございました、となるところですが、人生の旅は更に続くのです。今までより、もっとすごいことが待っているかも知れません。いやきっと待っています。

神さまが定められた時まで、人生の旅を、信仰の旅を、心の旅を続けましょう。

 

   2024年6月2日 聖霊降臨節第3主日礼拝 笹井健匡牧師


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