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「信仰の戦い」 テモテへの手紙一6章11~16節

 5月23日は狭山事件で石川一雄さんが不当逮捕された日です。今年で61年になります。狭山事件は部落差別故の冤罪事件です。石川さんが無罪である証拠は山のようにあります。石川さんの無実を勝ち取るために具体的なことはできなくても、関心を持ち、祈りに覚えていくことも、戦いに加わる一つの方法であろうと思います。このような戦いを外なる戦いと捉えていいかもしれません。一方、内なる戦いというのは、人間の中にある不安の裏返しのような醜い感情、高慢、ねたみ、中傷、邪推などを持たないように戦うこと、また金銭欲と戦うことを意味しています。(6・3~10)人は色々な感情を持ちます。他者への攻撃的な思いではなく、自分への攻撃的な思いを持つことがあります。必要以上に自分を責めること、過度に自己卑下してしまうこともまた、人を害する感情であると言えるのではないかと思います。他者へ向かうマイナスの感情、自分へと向かうマイナスの感情、これらの感情と戦っていくということも大切なことであろうと思います。

 さらにキリスト者の信仰の戦いについて考えていきたいと思います。テモテはパウロの伝道の同行者(16・1~5)であり、宣教の同労者でもあります。テモテはエフェソの教会にとどまって(1・3)宣教の業、牧会の業に携わっていたのです。そのテモテに対して、パウロは、「信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。」(6・12a)と言います。この世の悪を避け、正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求める(6・11)ことが「信仰の戦い」でなされることなのです。

「信仰の戦い」を戦うためには、絶えず自分の信仰の原点に返り、洗礼を受けた時に人々の前でなした証し(6・17b)を思い起こすことが必要であるのかもしれません。そして、偽教師(1・3~5、6・3~5)の在り方から遠ざかると共に、金銭を追い求める在り方(6・9~10)を避けて生きるように努めていくことが大事であると今日の聖書は教えています。

また、正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めるということは、正義をこの世に実現するということであろうと思いますし、平和を追い求めるということも含まれるのではないかと思います。それらのことも、広い意味では、キリスト者の「信仰の戦い」の中に入るのではないでしょうか。偽教師、現在でいうならカルトということになると思いますが、カルトと戦うことも「信仰の戦い」であろうと思います。

 しかし、「信仰の戦い」を戦うということは、私たち人間の力でなすことはできません。私たちの「信仰の戦い」はイエスが共に戦ってくださる戦いです。イエスにあって、偽教師に惑わされず、この世の悪に染まらず、正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めていく者でありたいと思います。そして、この世の正義のために、平和のための戦いに祈りつつ参与していく者でありたいと思います。

   2024年5月26日 聖霊降臨節第2主日 平島禎子牧師


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