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「天の故郷」 ヘブライ人への手紙11章13~16節

 「天上の友」という本があります。そこには、私の恩師二人のことも記されています。恩師の一人である乃美尚敏牧師と出会ったのは乃美牧師の最後の牧会の地である福岡警固教会でした。牧師としての最後の6年間のお働きでした。乃美牧師は、長崎、大分、福岡の地で伝道牧会に従事されました。特に大分では17年間もの長きにわたるお働きをされました。「天上の友第四編」の乃美牧師の頁を見て、人生は旅路であるのだなーと思わされたことでした。

 私は出身が福岡で、京都の大学へ行き、教会は、福岡、愛媛、岡山と点々としてきましたが、どの地もなつかしい故郷であると思っています。岡山の地を離れた後は、岡山がまた故郷となるのだろうな、と思わされます。人には地上での故郷があります。しかし、いわゆる地上の故郷とキリスト者の故郷とは異なっています。キリスト者は地上では「よそ者であり、仮住まいの者である」ことが11章13節に記されています。この地上が私たちの全てではないのです。私たちには地上の故郷がありますが、その地上の故郷にまさった故郷、「天の故郷」というものが存在するのです。神さまは、私たちのために「都」を準備してくださっているのです(16節)。私たちの帰る本当の故郷は「天の故郷」です。地上でのからみつく罪を脱ぎ捨て、天を仰いで生きていくことが大切なのではないかと思います。しかし、この世のことをおざなりにしていいということではありません。この世で「望み」と「見えない事実」を持ちつつ、前を向いて歩いていくことが大事ではないかと思います。

 私たちには、「天の故郷」があります。「天の故郷」は遠い昔から変わらずに存在します。そして故郷というからには、私たちは以前すでに「天の故郷」にいた、と言えるのではないでしょうか。そして、この世の人生の歩みを歩みきったならば、再び「天の故郷」へ帰ることができるのではないかと思います。天に帰る、「帰天」という言葉が使われることがありますが、私たちは、「天の故郷」に帰るためにこの地上での旅路を歩み、この地上で様々な経験をし、信仰をもって生きていくのであると思います。そして「天の故郷」に帰った時、天上の友たちと再会することができると信じています。

 全国的に見ても、教会に来る人の数は減っています。児島教会も大変少数の群れとなってしまいました。しかし、この地上において小さな群れであったとしても、天には雲のように大勢の証人たちがいるのだということを覚えなければならないと思います。先に天に帰られた人たちの地上での歩みを思い起こし、その信仰の歩みを私たちの現在を生きる力となしていくことが大切なのであり、天を見上げつつ、この地上において、それぞれの信仰生活をなしていくと共に、伝道に励んでいかなければならないと思います。天上の友たちもまた教会に臨んでおられることを信じ、イエスさまを中心とした、神さまに喜ばれ、聖霊に満ち溢れる教会として成長することができるよう、祈る者でありたいと思います。

    2024年10月13日 聖霊降臨節第22主日 平島禎子牧師


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