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 イザヤ書30章19節には、人間の嘆き悲しむ時が終わり、神の救いと恵みの時が実現することが述べられています。神さまは必ず私たちの目から涙を拭いとってくださるのです。そして神の救いに与った私たちは、背後から語られる神の言葉を聞き、私たちの「行くべき道」が知らされると21節に記されています。
 私たちの「行くべき道」とは、マタイによる福音書7章14節に記されてる「狭くて細い、見出しにくい道」であろうと思います。その道を神さまに導かれ、イエスさまに従って歩まなければならないのであろうと思います。
 今日2月11日は日本では「建国記念の日」とされています。この日は戦前戦中は「紀元節」といわれていました。「日本書紀」の中に記されている神武天皇の即位の日に由来しています。それは1872年(明治5年)に決められた日です。明治になってから日本は天皇制国家となり、天皇を現人神とし、近代化を進めるとと共に軍事国家へと変貌していきました。そして1910年に日韓併合をなし、その後もアジアの国々に侵略していきました。そして、日本人にはもちろん、韓国、アジア諸国の人たちにも神社参拝を強要しました。韓国のクリスチャン、牧師、また日本のクリスチャン、牧師、特にホーリネスの人たちは、天皇を神と認めず、キリスト教の神のみが神であると公言したため、投獄され、拷問を受け、獄死した人もいました。
 戦後20年が経ち、1966年春の国会で国民祝日改正案が出され、野党の反対を押し切って、「建国記念の日」が「紀元節」と同じ日である2月11日に決まりました。信教、思想、信条の自由が戦前戦中のように侵されてはいけないと日本基督教団ではこの日を「信教の自由を守る日」としています。そして、1967年のイースターに、「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」が鈴木正久総会議長の名前で出されました。(裏に記しています。*HPでは「戦責告白」のところに記しています。) 私たち日本のクリスチャンに与えられている「行くべき道」は戦前戦中の過ちを日本が繰り返さないようにする、戦争を止める、真の平和を実現する、それらのことにつながる道ではないだろうかと思わされます。
 私たち一人一人、それぞれの信仰において、「これがあなたの行くべき道だ。ここを歩きなさい。」という神の声を背後から聞き、その道がいかに狭くて細い道で、困難な道に思えようとも、神さまに背後から示された「行くべき道」をイエスさまに従って歩んで行く者でありたいと思います。

2018年2月11日 降誕節第7主日礼拝 信教の自由を守る日 平島禎子牧師

 4つの福音書に記されているとおり、イエスさまの生前にいろいろなことを人々に、また弟子たちに教えられました。その中の一つに「仕える」ということがあります。
 弟子たちはイエスさまから招かれ、文字通りすべてを捨てて、イエスさまの宣教活動に同行していました。つまり、イエスさまに「仕えて」いたのです。その熱心さは相当なものがあったに違いありません。なかなかできることではありません。そのようにしてイエスさまに「仕えて」いた弟子たちに「仕える」ことを教えられたのが今日の聖書です。
 舞台は、エルサレム入城直前です。イエスさまは弟子たちに3度目の受難予告をされました。しかし弟子たちはそのことを全く理解できませんでした。そしてヤコブとヨハネは、イエスさまがエルサレムで王に就任されたそのときには、自分たちをナンバー2とナンバー3にしてほしいと願い出たのです。そしてそのことを知って、他の弟子たちも腹を立て始めました。ヤコブとヨハネと同じような心でいたことがうかがえます。
 弟子たちは、イエスさまに心から仕えてきたのですが、しかしその反面、自分もだれかに仕えられたい、という思いを持っていたのかも知れません。私たちは心から尊敬する人に仕えることはできますが、しかし自分も他者から尊敬され仕えられたい、という思いを同時に持ってしまう存在なのかも知れません。
 イエスさまは、そんな弟子たちに対して、「偉くなりたい者」は「仕える者」になりなさいと教えられました。42節の言葉にあるように、民主主義のかけらもない時代です。階級社会のただなかにあって、イエスさまは「仕える者」となるよう教えられたのです。そしてそれを今からエルサレムで身をもって実践することを教えられました。
 このイエスさまが命をささげて教えられたように「仕える者」に、世界の人々がなっていくことができたとき、真の神の国がこの地上に実現するのかもしれません。その日を望みながら、信仰の歩みをすすめて行きたいと思います。

2018年2月4日 降誕節第6主日礼拝 笹井健匡牧師