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「共におられる神」 ヨハネの黙示録21小1~4節

 教会の暦も降誕前となりました。クリスマスの灯がかすかに見えるようになり、その足音もかすかに聞こえてきています。マタイによる福音書では、イエスさまが「インマヌエル」、「神は我々と共におられる」方としてお生まれになることが言われています。イエスさまは、大工として働かれた後、30歳頃から宣教活動をされます。その活動は、社会の底辺にいる人達へ向けてなされたものでした。讃美歌280番にありますように、「しいたげられしひとをたずね、友なきものの友と」なられた方であります。

 ヨハネの黙示録21章3,4節には、次のように記されています。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」慰めに満ちた聖句です。神さまが人と共に住んでくださる、そして私たちの涙をことごとくぬぐい取ってくださるのです。この箇所は葬儀の時によく読まれる箇所でもあります。自分と共に生活をしてきた人、家族、また、友人、師と仰ぐ人、自分の大切な人が亡くなると、悲しみと寂しさと喪失感を感じます。涙することもあります。しかし、そのような中にあって、人は神から慰めを受けることができるのです。神は人の目の涙をことごとく拭い去ってくださるのです。なんという慰めでしょう。泣いている人よ、悲しみなさい、あなたの涙を私がぬぐおうと、神さまはそばにいて、慰め、励ましてくださるのではないでしょうか。

 私たちの信じる神は共におられる神です。私たちと共に神さまはおられるのです。孤独の中にある時、一人ぼっちだと感じることはないのです。神が共におられるからです。また、その同じ神を信じる友もいます。教会の群れは、共にある群れです。一つの部分が喜べば、すべての部分も喜び、一つの部分が苦しめば、すべての部分も苦しむのです。決して一人ではありません。教会は共におられる神さまを信じる共にある共同体なのです。

 共におられる神を信じ、心強くされ、神の民としてこの地上での歩みをなしていく者でありたいと思います。そして、インマヌエルの主イエスの誕生を待ち望んでいく者でありたいと思います。


   2024年10月27日 降誕前第9主日 平島禎子牧師


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