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「内在する神」 エフェソの信徒への手紙3章14~19節

 人類は、古来より、それぞれの地域で、神なる存在への思いを育んで来ました。イスラエルの歴史は主なる神ヤハウェと共にありました。アブラハムは、その人生を神と共に歩み、時に愚痴を言ったり、神を笑ったりしました。孫のヤコブ(後のイスラエル)にいたっては、神と取っ組み合いをしました(創世記32:23~)。もともと非常に近い存在だったヤハウェの神ですが、その後長いエジプトでの寄留生活を経て、遠い存在になりました。やがてモーセに現れられ、出エジプトがなされますが、十戒付与の後は、律法を通して神とかかわる、神と人との間には契約のしるしである、律法が鎮座することになりました。

 遠い存在となった神を人々と結び付けたのが、預言者たちでした。預言者たちは人々に対して、神に立ち帰るように繰り返し説きました。エレミヤにおいて、ついに人間の外にあった律法は、人間の心の中に入れられ、神と人との距離が縮められようとしました(31:33)。

 しかし預言者が現れなくなって数百年が経ち、イエスさまの時代には、再び神は遠い存在になっていました。人々の信仰生活は、律法至上主義のようなファリサイ派の人たちによってなされていました。

 そんな時代の中、イエスさまは登場され、神との距離を縮められました。そしてユダヤ教からキリスト教が分離して誕生した時の、最大の違いは、神である主イエスが信仰者の心の中に、内在するという点でした。もはや律法ではなく、神そのものが、人の心の中に内在するのです。これは大変大きな信仰の転換点でした。

 今日の聖書の17節には、「信仰によって 心の内にキリストを住まわせ、」とあります。信仰の対象である主イエス・キリストそのものが、信仰者の内に住まう、存在すると言うのです。イエスさまを信じる者は、イエスさまの愛を実践する者となるのです。どこまでも広く、いつまでも長く、空よりも高く、海よりも深いイエスさまの愛を内にいただいた者として、信仰の歩みを進めて行くのがクリスチャンです。失敗しようが、曲がりくねっていようが、大丈夫です。最高の神の愛をいただいているのですから。

 神が内在し、人間と共に歩まれる、このことを忘れないようにしましょう。自分の中におられる神は、信仰の友の中にもおられます。他者の中におられる、内在する神に目を留め、共に信仰の歩みを進めて行く者でありたいと思います。

 

2024年9月15日 聖霊降臨節第18主日礼拝 笹井健匡牧師


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