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 今日の聖書はイエスさまが公生涯に入られた始まりのことが記されています。イエスさまは全き人間おしてヨハネから洗礼を受け、その時に天が裂けて(イザヤ書63章19節)、神の御心を知られました。そして、霊に導かれて荒野へ行き、サタンの誘惑を退けられました。マタイ、ルカにはその内容について詳しく記されていますが、マルコは大変シンプルです。イエスさまは、サタンの誘惑を退けた後、宣教活動を始められました。
 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい。」とイエスさまは言われました。福音とは「喜びの音ずれ」のことです。イエス様の宣教は「悔い改め」だけではなく、「福音」を信じなさいと言われました。イエスさまを信じる者には真の「喜び」が与えられるのです。
 イエスさまは、この世の中の苦しみ、また各個人の中にある悲しみを知っておられました。また、人間が人間を支配し、差別・抑圧し、苦しめる罪、そして、自分の欲望をみたすことのみを求め、堕落していく罪があることをご存知だったのだと思います。そのような者一人一人が罪を悔い改めつつ、イエスさまの赦しの声を聴き、福音を信じ、喜んで神の業に参与していくことが大事なのであろうと思います。イエスさまは人間をそのように導くために、地上に現れられたのだと思います。
 「時は満ち」た、と言われています。これはすでに地上に神の国が近づいてきていることを意味しています。私たちから神の国へ近づくのではなく、神の国の方から私たちのところへぢかづいてくるということです。
 イエスさまの宣教活動はこのようにして始まりました。イエスさまはユダヤ社会で蔑まれているガリラヤへ行き、そこで声をあげられたのです。私たちの今年度の「始まり」を教会総会であるとするならば、イエスさまの宣教の始まりを思い、私たちの宣教活動について考えることも必要であるかもしれません。皆で神を賛美し、児島教会へお神さまの御心を尋ね求め、それぞれが、また、教会という共同体が、喜びの音ずれである「福音」を伝えるようになればいいな、と思わされます。イエスさまがヨハネから洗礼を受けられたように、私たちも謙遜な思いを持ち、また、イエスさまが荒野で誘惑を受けられたように、私たちも日々迫ってくる色々な誘惑と闘い、そして、何らかの形で宣教の業を進めていくようになればいいな、と思わされます。
 私たち一人一人、神さまの御心を尋ね求め、神さまの声を聴き、神さまの御心適った行ないをしていけるよう、祈る者でありたいと思います。

2018年4月29日 復活節第5主日礼拝 平島禎子牧師