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 31日(金)に南予部落差別問題研修会で講演をして来ました。1988年8月から、私なりの取り組みをはじめてからちょうど30年になるので、いろいろとこちらの方が考えさせられました。
 今日の聖書は、多くの人権、差別問題に取り組む牧師、信徒によって、好んで取り上げられる個所です。それはある有名な神学者の影響があるように思います。しかし、その考え方にはある種の問題が含まれています。
 もともとこの聖書の個所には、エルサレムでの最後の日々のイエスさまの教えの結論として記されたものです。「羊」と「山羊」に分けられる、というのが、本来の中心テーマです。その中で「最も小さい者」というのは、イエスさまを信じ、従っている無名のクリスチャンのことです。イエスさまにだったら、だれでも「良き業」をするかも知れません。また、パウロやペトロや有名な弟子たちのためだったら、、やはり「良き業」をするかも知れません。しかし、ここに記されているのは、そうではなく、イエスさまを信じ、生きている中で、だれにも知られておらず、無名の、1人の信仰者に対して「良き業」を行うことになるのだ、ということです。
 この世の在り方で、社会的地位のある人や、自分の上司にあたる人には、いわゆる「米つきバッタ」のようにぺこぺこするのに、反対の人々に対しては、横柄で傲慢な態度をとる、そういう人がいます。この聖書は、本来、そういった人々を戒めている個所だと私は思います。
 教会は神の家族であり、そこにはこの世の社会的身分や地位を超えた「主にある交わり」がないといけません。神の前に、それぞれが一人の信仰者として立ち、そして同じ教会に集う、信仰の友として、主にある水平なマジわりを持つのが本来の教会の姿です。
 しかし、現実の世の中には、さまざまな不条理のために、社会的に小さくされている人々が存在するのも事実です。私たち主イエスに救われた者は、少しでも復活の主に従い、そうした人々のところへと足を運び、祈り、できることをなして行きたいと思います。そしてやがてその時が来たら「良き羊よ」とイエスさまに言ってもらえるように、信仰の道を共に歩んで行きたいと思います。

2018年9月2日 聖霊降臨節第16主日 笹井健匡牧師

 8月20日(月)~22日(水)まで平島禎子牧師の実家のある福岡に帰省して来ました。年に一度、特に4年前義弟が亡くなってからは、お墓参りをかねたものとなっています。また、前々任地の教会も(福岡に)あります。
 私は京都が故郷ですが、大阪も中高時代、社会人時代を過ごしたところであり、いわゆる「伝道師」時代と前任地の愛媛、そして現在の児島(と新見)の岡山と、2府3県が「帰ろうかな」と思える故郷のようなものになっています。
 今日の聖書は、いわゆる「第3イザヤ」と呼ばれている預言書です。一般に預言書、旧約聖書というと、厳しい、裁きの神、というイメージが強いですが、今日のところは非常に愛に満ちた神の姿が描かれているように思います。イスラエルの民の、つまり人間の苦難を「常に」「自分の」苦難として「救い」「贖い」「負い」
「担って」くださったのが主なる神であると言うのです。ここに表わされているのは、数百年後に登場されるイエスさまの姿そのものだと思います。
 もともと神は、愛の神だったのです。それを厳しい、裁きの神としたのは、私たち人間でした。人間が、その悪い思い、神に背く歩みによって、神を怒らせ、裁きをもたらしたのだと、あらためて思わされます。
 イエスさまは、もう一度、自らの生きざま、そして死にざまを通して、本来の神の姿を私たちに示してくださった、と言えるのかも知れません。そのイエスさまの思いを思い起こし、そしてその神さまのもとに帰ることが大事だと思います。
 帰ることができる場所、帰るべきところを持っている人間は幸いです。特に苦しい状況に置かれたとき、大きな悲しみを経験したとき、人はまるで母の胎内に帰るごとく、帰りたいどこかへ帰ろうとするものなのかも知れません。帰巣本能なのかもしれません。
 私たちの帰るところ、帰ろうかな、と思うところは天の神さまのところです。この世に生きているときは、いろいろな土地、場所が思い浮かびますが、究極的には、天にある故郷に帰るのです。
 やがて時がきたら、天に、神さまの御許に「帰ろうかな」、しかしそれまではもう少しこの地上でがんばって、聖霊の導きのままに、神さまを信じ、イエスさまに従って信仰の歩みをすすめて行きたいと思います。

2018年8月26日 聖霊降臨節第15主日 笹井健匡牧師

 私たちの人生の中でも「突風」が吹くような出来事があることと思います。思いもしなかった挫折、突然起きた不幸、そういった事柄の中で、突風が私たちの中に吹き荒れるのではないかと思います。私たちもまた、「イエスさまは私たちの苦しみをわかってくれないのだろうか、傷つき、生命がとられるようなことになっても助けてくださらないのだろうか。」と思わず言いたくなるような経験をするかもしれません。そして、「神さまを信じているのになぜ助けてくれないのだ。」という不信感を持つようになるかもしれません。しかし、そのような不信感は、本当に神さまを、イエスさまを信じていない証拠なのです。この恐ろしい突風のような出来事をイエスさまは静めてくださる、必ず助けてくださる、という忍耐強い信仰を持つことが大事だと思います。そして、時が来れば、私たちの心の中に吹き溢れる突風をイエスさまは、「黙れ、静まれ。」と言ってくださり、真の平安を得ることができるのです。
 イエスさまは今日の聖書の最後のところで、「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」と言われています。弟子たちの不信感をとがめられたのです。何が起きようとも、イエスさまを信じ、イエスさまが一緒にいてくださるので何があっても大丈夫という信仰を持つと共に、何でもかんでもイエスさま頼みではなく、責任を持って自分なりの最善を尽くすことも大事であろうと思います。
 WCCと呼ばれている「世界教会協議会」のシンボルマークOIKUMENE(ギリシャ語で「人の住む世界」のこと)の文字と共に、十字架をマストに仕立てた小舟が嵐の中を漂う様を描いてます。WCCは、第二次世界大戦後、暗く不安な嵐の海に船出する世界教会が、世界の人々に多様な働きをして仕えるようにと、このシンボルマークを1945年に行なわれた第一回総会において採択しました。
 私たちは、共に社会という海へ漕ぎ出している教会という舟に乗っている仲間です。私たちの舟は突風が吹けば、すぐに飛ばされ転覆するような小さな舟に思えるかもしれません。しかし、この教会という舟にはイエスさまもまた一緒に乗って下さっているので、何が起きても大丈夫なのです。そのことを覚えて、勇気をもって
海へと漕ぎ出していく者でありたいと思います。

wcc          
World Council of Church  

2018年8月12日 聖霊降臨節第13主日 平島禎子牧師

 今年も平和聖日を迎えました。何を話すべきか、いろいろと黙想していると、なぜか「愛」という言葉が浮かんで来、そして次に「愛と平和」という言葉が浮かんで来ました。地に「平和」を実現するために神さまがイエスさまを通して示された道、平和への道が「愛」であったのだと思います。
 今日の聖書のすぐ前には、児島教会献堂式記念の「神は愛です」(4・16)があります。2010年からの児島教会の半永久的な「聖句」です。この新しい会堂にが文字通り神の愛で満たされたものであるように、日々祈りつつ、共に信仰の歩みをすすめて行きたいと思います。
 この世には、残念ながら平和を乱そうとする力があります。そしてそれは時に強力に、そして時に知らない間に、私たちを真綿で首を絞めるように追い込んでいったりもします。しかし、今日のこの聖書には、神とイエスを愛する者は皆、人々をも愛し、そしてそのような、この世に打ち勝つ、と告げています。
 ヨハネによる福音書16章33節にはイエス自身の言葉として、「わたしは既に世に勝っている。」と記されています。これは最後の晩餐後に話された言葉です。十字架へと歩む決意を固められたイエスが、自らの「死」を前にして、敗北ではなく、勝利を宣言されているのです。同じ系統にある教会に所属していたと思われるこの手紙の著者は、そのことをよくよく心に刻んでいたからこそ、そのイエスを信じ、従う私たち信仰者も、この世に勝利するということを確信しているのです。
 56歳の私が歩んできた時代は、子どもの頃は多くの人がそれほど豊かではなかったけれども、将来に希望を持ち、前向きに生きていたように思います。一人の人の命は地球より重く、「金」よりも大事なもの、愛とか夢とかがある、そういう感覚が当たり前であったように思います。しかしその後大きく時代は変化しました。
 今の世は、「金」が力をふるっているように思えます。そういう意味では悪の世であるのかもしれません。しかし私たち信仰者は、イエスが神の子であると信じる者です。私たちが愛を諦めたら、それこそ「悪魔」の思うつぼです。
 お金の大切さはもちろんしっかりと認識しつつ、しかしそれでもそれよりも大切なもの、愛があることを、そして愛こそが真の平和を実現できることを心に刻んで、信仰の歩みをすすめて行きたいと思います。

2018年8月5日 聖霊降臨節第12主日礼拝 笹井健匡牧師

 私が教会に行きだした頃、よく聞いた言葉に「主にある交わり」という言葉があります。週報の礼拝順序の最後は「交わり」でした。各グループに分かれて、高校生会、青年会等で昼食を共にし、「証し」等、いろんな話をする時間がありました。第3日曜日は、縦割りにした「ファミリー」に分かれ、年齢性別を超えた交わりの時を持ちました。
 教会は、2000年前の誕生の時から、礼拝と共に、「主にある交わり」を大切にして来ました。1部の礼拝が終わったあと、2部の愛餐の時があり、その初めに「聖餐式」をしていたように考えられています。
 おそらく礼拝において神を賛美し、その後主イエスの最後の晩餐を覚え、そこで、主イエスの愛に包まれた交わりをなしていたのではないかと思います。
 今日の聖書は、詳細はわかりませんが、パウロが獄中でオネシモという信徒を得たことが記されています。オネシモはフィレモンの奴隷でした。フィレモンに関しても詳細は不明ですが、2節には、フィレモンの家の教会が言及されています。おそらく熱心な信仰者で、その地域のリーダー的存在だったのではないかと思います。また奴隷をもっていたことから経済的にも裕福であったと思われます。そして、信仰者として良き働きをしていたことが手紙の端々からうかがえます。
 そんなフィレモンに対してパウロはオネシモを、奴隷ではなく、愛する兄弟として迎えてほしいと願うのです。身分、階級が厳然としていた古代社会でした。ふつうでは、ありえないことなのですが、同じ主イエスを信じる者として、とパウロは願うのです。ここには当時のクリスチャンたちが、主イエスを信じることによって、その愛の交わりの中で生きていたことの片鱗が見てとれる気がします。つまり、愛の交わりが、世の在り方を突き抜けていることが感じられるのです。
 私たちが生きている社会は、もっと自由な社会です。本来は信仰によってもっと豊かな愛の交わりを実現することができるのだと思いますが、なかなか言うは易く行うは難し、です。
 私たちのことをこよなく愛してくださっている主イエスをもう一度しっかりとみつめ、そして神が愛であり、私たちも互いに愛し合うことを何よりも望んでおられることを思い、愛の交わりを探していく者でありたいと思います。

2018年7月29日 聖霊降臨節第11主日礼拝 笹井健匡牧師

 先週の日曜日、午前10時21分に故三宅八重子姉は天に召されました。最終的に教会のみんなで礼拝をするように、葬儀をすることができ、本当に良かったと思います。その時もたくさんの讃美歌を流しましたが、先ほど歌いました讃美歌も愛唱歌でした。2007年に購入された讃美歌21に、自筆で「三宅八重子姉愛唱讃美歌」と5曲記されていまして、あと1曲は番号を丸で囲んでおられました。 -中略ー
 今日の聖書は安息の年とヨベルの年について記しています。新約聖書に欲出てくる「安息日」のさらに拡大したものです。6日働いたら、1日休むという古代社会では大変すすんだ価値観であったように思います。それにとどまらず、6年土地を使用したなら、7年目には休ませる、というものです。もちろん人間も休息をとるのです。
 さらに7年の7倍の49年経過したなら、全住民に解放の宣言をし、それぞれの故郷、家族のもとに帰らせる、というのです。このヨベルの年の考えかたは、イスラエルの民の心の深いところに、神がいかに人間を愛しておられるか、という思いを植え付けたのではないかと私は思います。つまり、人間はいろいろな事象があって大変な人生を歩むこともあるけれども、本来は神からこんなにも深く愛されている存在であるのだ、という意識を持っていたのではないかと思うのです。
 気候の違いや、歴史の違いが関係しているのかも知れません。私が少し思うのは、以前は天気によって、働いたり、休んだりしていたのが、現代ではよほどのことがない限り、「休む」ということが、何か悪いことのように感じさせられる風潮があるように思います。本来は自然と共に働き、休む、そういう生活が一番いいのかも知れませんが、なかなか難しい問題です。
 コヘレトの言葉3章が教えてくれているように、すべてのことには時があります。働くときは一生懸命働き、そして休むときには大いに安息をし、人生の営みをすすめて行きたいと思います。
 故三宅八重子姉妹が残してくださった「証し」を胸にいだきながら、私たちもそれぞれの人生を、神の愛を感じながら、時に「安息」をしながら、最後まで歩み切って行く者でありたいと思います。

2016年7月22日 聖霊降臨節第10主日礼拝 笹井健匡牧師

 私たち人間は、人生の大切な節目にあるとき、自分を超えた、「なにか」に、その答えを求めようとするものではないかと思います。私たち信仰者にとってそれは、神に祈ることに他ならないと思います。
 今日の聖書の冒頭で、イエスさまは祈っておられました。ユダヤ教の会堂において「権威ある新しい教え」をされ、汚れた霊を追い出し、その後、ペトロとアンデレの家で、多くの悪霊を追い出し、病を癒されました。そこに居れば、おのずと多くの人々がやって来ることは自明のことでした。そこに居続けて、宣教する、という道もあったと思います。しかしイエスさまが神さまから与えられた答えは違うものでした。それはより大変な道、と言えるかもしれません。
 「みんな捜しています」という弟子たちの言葉に対して、イエスさまは「分かった。今みんなのところへ帰るから」とは言われませんでした。そうではなく「ほかの町や村へ行こう。」と言われたのです。これを聞いた弟子たちはどう思ったでしょうか。せっかく、ペトロの家で大きな成果をあげたのだから、ここにいるのがいい、と思ったかも知れません。ここにいてカファルナウムのいろんなところに宣教するのがいいと、私も思ってしまいます。しかしイエスさまはあえて新しい町や村へ行き、何の保証もないところで、宣教をすると言われたのです。そしてそれこそが、ご自身の使命だと言われました。
 後に誕生した教会も、初めは信徒たちやパウロのような伝道者たちが多くの地域を巡って伝道をして行ったのです。そのことによって各地に教会が誕生して行きました。私たちが読む新約聖書の大半は、そうした教会の、草創期の様子を伝えています。
 転じて、私たちは2000年という歴史を持つ、世界宗教としての、言わば制度化された教会において信仰生活を送っています。そんな私たちにとっては、地域に根を張って宣教することが大切です。
 今日の聖書は、私たちに宣教の根源的なもの、を教えてくれます。ひとつは、宣教は人の業ではなく、神の業であるということ。イエスさまですら、神に祈り、そして示された道を歩まれたのです。もうひとつは、まだイエスさまを知らない人々に、何とかして伝えて行く、という心の姿勢を常に持ち続けること。
 人の思い、勝手な判断によって、神の業を決して妨げることがないように、常に祈りながら、共に信仰の道を歩んで行きたいと思います。

2018年7月15日 聖霊降臨節第9主日礼拝 笹井健匡牧師(平島牧師の代理)

 木曜日から土曜日にかけて大雨特別警報が出るほど、大量の飴が降りました。こんなに長く強い雨は、私の人生の中でも始めてのことでした。代務をしています新見では市内全域に避難指示が出されました。予定していました第1土曜日の礼拝はお休みすることになってしまいました。
 改めて自然の力に畏怖の念さえ覚えました。今年のカレンダーは、ノアの箱舟の絵が描かれているものです。まるで今回の大雨を預言していたかのようにさえ思えます。被害に遭われた多くの地域の方々の上に、主の慰めと励ましが与えられるように心からお祈りいたします。
 避難所の映像を見るたびに思い出す場面があります。もはやいつの時かは定かではありませんが、避難所から家に帰れるようになったとき、ひとりの方が、「家に帰れるのはうれしいが、なんか、少し寂しい気がする。」とインタビューに答えておられました。緊急事態ではあったのですが、避難所で、多くの人と共に過ごしたのは「少しうれしい」ことでもあったようです。おそらくこの方は家に帰ると、「ぽつん」とひとり寂しく生きていく日々が待っていたのではないか、と思わせられました。
 今日の聖書は、イエスさまが大勢の「徴税人」「罪人」と食事を共にされている場面です。当時、ファリサイ派の人たちは、「異邦人」はもちろんのこと、同じ民族であっても、「徴税人」「罪人」とは一緒に食事をしませんでした。イエスさまは、そんな時代にあって、すべての垣根を取っ払い、だれとでも食事を共にされたのです。
 13節にはホセア書6章6節の言葉が引用されています。「憐み」というと何か上から下への「同情」のような感じがしますが、もともとのホセア書では、「愛」と書かれています。イエスさまは、人々から差別され、「いけにえ」のように扱われていた人々と食事を共にすることによって、神さまの愛を示されたのです。
 私たちが生きる現代にも様々な「垣根」がありますが、イエスさまによって救われ、神さまの愛を知らされた者として、すべてを越えて共に生きる歩みを、互いに愛し合いながら進めて行く者でありたいと思います。

2018年7月8日 聖霊降臨節第8主日礼拝 笹井健匡牧師

 私たちはこの世に生を受けてからいろいろなことを経験し、多くのことを「知る」ようになって行きます。そういう意味では人生は、「知の冒険」ということが言えるかも知れません。しかし、周りの、出会う事柄をいろいろと知って行くと、あるとき、その「知る」という行為をしている「自分」とはいったい何者なのか、という問いを経験するかも知れません。自分を知ることは、なかなか難しいものです。その中でも、自分の弱さを知ることは、一番難しいことなのかも知れません。
 今日の聖書はパウロがペトロを非難したことを記しています。なぜ、パウロはわざわざこのようなことをガラテヤの信徒たちに書いたのでしょうか。
 ガラテヤの諸教会は、おそらく小規模教会が多かったのではないかと思われます。ひとつ前のコリントの教会は分派ができるほど大きな規模に成長していました。しかし、小規模教会だったガラテヤの諸教会は、「ヤコブのもとから」つまりエルサレム教会からユダヤ人クリスチャンがやって来て、「律法」の大切さを説かれると、「ああ、そうなのか」と先祖帰りしたユダヤ教的キリスト教に変節しようとしてしまいました。つまり「弱い」教会だったのです。パウロはそれに対して、しっかりと福音的信仰に立ち帰るように、この手紙を書いたのです。
 そしてだからこそ、「弱さ」を持つ、ガラテヤの信徒たちに、あえて、ペトロ、そしてバルナバの名前を出し、彼らを非難することで、逆説的にガラテヤの信徒たちを勇気づけているのだと私には思わされます。なぜなら、パウロ自身、自らの弱さを知っていたと思うからです。
 また、異邦人と一緒に食事をする、というのはそれほどまでに、大変な行為だったのだということも分かります。「食事」は交わり、仲間、の象徴でした。
           - 中略 -
 今を生きる私たちも、それぞれに様々な弱さを持っています。大切なことは自らの弱さを知ること、そして他者の弱さを知り、許し、受け入れることだと思います。なぜなら一番先に、イエスさまが私たちの弱さを受け入れて下さっているのですから。
 弱さを知ることを通して、神の前に自分の本当の姿を知り、そして他者に対して、その弱さに対して寛容で、愛に満ちた生き方へと導かれて行く者でありたいと思います。

2018年7月1日 聖霊降臨節第7主日礼拝 笹井健匡牧師