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「 安 息 」  レビ記25章8~12節

 先週の日曜日、午前10時21分に故三宅八重子姉は天に召されました。最終的に教会のみんなで礼拝をするように、葬儀をすることができ、本当に良かったと思います。その時もたくさんの讃美歌を流しましたが、先ほど歌いました讃美歌も愛唱歌でした。2007年に購入された讃美歌21に、自筆で「三宅八重子姉愛唱讃美歌」と5曲記されていまして、あと1曲は番号を丸で囲んでおられました。 -中略ー
 今日の聖書は安息の年とヨベルの年について記しています。新約聖書に欲出てくる「安息日」のさらに拡大したものです。6日働いたら、1日休むという古代社会では大変すすんだ価値観であったように思います。それにとどまらず、6年土地を使用したなら、7年目には休ませる、というものです。もちろん人間も休息をとるのです。
 さらに7年の7倍の49年経過したなら、全住民に解放の宣言をし、それぞれの故郷、家族のもとに帰らせる、というのです。このヨベルの年の考えかたは、イスラエルの民の心の深いところに、神がいかに人間を愛しておられるか、という思いを植え付けたのではないかと私は思います。つまり、人間はいろいろな事象があって大変な人生を歩むこともあるけれども、本来は神からこんなにも深く愛されている存在であるのだ、という意識を持っていたのではないかと思うのです。
 気候の違いや、歴史の違いが関係しているのかも知れません。私が少し思うのは、以前は天気によって、働いたり、休んだりしていたのが、現代ではよほどのことがない限り、「休む」ということが、何か悪いことのように感じさせられる風潮があるように思います。本来は自然と共に働き、休む、そういう生活が一番いいのかも知れませんが、なかなか難しい問題です。
 コヘレトの言葉3章が教えてくれているように、すべてのことには時があります。働くときは一生懸命働き、そして休むときには大いに安息をし、人生の営みをすすめて行きたいと思います。
 故三宅八重子姉妹が残してくださった「証し」を胸にいだきながら、私たちもそれぞれの人生を、神の愛を感じながら、時に「安息」をしながら、最後まで歩み切って行く者でありたいと思います。

2016年7月22日 聖霊降臨節第10主日礼拝 笹井健匡牧師

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