• 記事検索

RSS

「食事を共にする」  マタイによる福音書9章9~13節

 木曜日から土曜日にかけて大雨特別警報が出るほど、大量の飴が降りました。こんなに長く強い雨は、私の人生の中でも始めてのことでした。代務をしています新見では市内全域に避難指示が出されました。予定していました第1土曜日の礼拝はお休みすることになってしまいました。
 改めて自然の力に畏怖の念さえ覚えました。今年のカレンダーは、ノアの箱舟の絵が描かれているものです。まるで今回の大雨を預言していたかのようにさえ思えます。被害に遭われた多くの地域の方々の上に、主の慰めと励ましが与えられるように心からお祈りいたします。
 避難所の映像を見るたびに思い出す場面があります。もはやいつの時かは定かではありませんが、避難所から家に帰れるようになったとき、ひとりの方が、「家に帰れるのはうれしいが、なんか、少し寂しい気がする。」とインタビューに答えておられました。緊急事態ではあったのですが、避難所で、多くの人と共に過ごしたのは「少しうれしい」ことでもあったようです。おそらくこの方は家に帰ると、「ぽつん」とひとり寂しく生きていく日々が待っていたのではないか、と思わせられました。
 今日の聖書は、イエスさまが大勢の「徴税人」「罪人」と食事を共にされている場面です。当時、ファリサイ派の人たちは、「異邦人」はもちろんのこと、同じ民族であっても、「徴税人」「罪人」とは一緒に食事をしませんでした。イエスさまは、そんな時代にあって、すべての垣根を取っ払い、だれとでも食事を共にされたのです。
 13節にはホセア書6章6節の言葉が引用されています。「憐み」というと何か上から下への「同情」のような感じがしますが、もともとのホセア書では、「愛」と書かれています。イエスさまは、人々から差別され、「いけにえ」のように扱われていた人々と食事を共にすることによって、神さまの愛を示されたのです。
 私たちが生きる現代にも様々な「垣根」がありますが、イエスさまによって救われ、神さまの愛を知らされた者として、すべてを越えて共に生きる歩みを、互いに愛し合いながら進めて行く者でありたいと思います。

2018年7月8日 聖霊降臨節第8主日礼拝 笹井健匡牧師

コメント
name.. :記憶
e-mail..
url..

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):