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「最も小さい者」  マタイによる福音書25章31~40節

 31日(金)に南予部落差別問題研修会で講演をして来ました。1988年8月から、私なりの取り組みをはじめてからちょうど30年になるので、いろいろとこちらの方が考えさせられました。
 今日の聖書は、多くの人権、差別問題に取り組む牧師、信徒によって、好んで取り上げられる個所です。それはある有名な神学者の影響があるように思います。しかし、その考え方にはある種の問題が含まれています。
 もともとこの聖書の個所には、エルサレムでの最後の日々のイエスさまの教えの結論として記されたものです。「羊」と「山羊」に分けられる、というのが、本来の中心テーマです。その中で「最も小さい者」というのは、イエスさまを信じ、従っている無名のクリスチャンのことです。イエスさまにだったら、だれでも「良き業」をするかも知れません。また、パウロやペトロや有名な弟子たちのためだったら、、やはり「良き業」をするかも知れません。しかし、ここに記されているのは、そうではなく、イエスさまを信じ、生きている中で、だれにも知られておらず、無名の、1人の信仰者に対して「良き業」を行うことになるのだ、ということです。
 この世の在り方で、社会的地位のある人や、自分の上司にあたる人には、いわゆる「米つきバッタ」のようにぺこぺこするのに、反対の人々に対しては、横柄で傲慢な態度をとる、そういう人がいます。この聖書は、本来、そういった人々を戒めている個所だと私は思います。
 教会は神の家族であり、そこにはこの世の社会的身分や地位を超えた「主にある交わり」がないといけません。神の前に、それぞれが一人の信仰者として立ち、そして同じ教会に集う、信仰の友として、主にある水平なマジわりを持つのが本来の教会の姿です。
 しかし、現実の世の中には、さまざまな不条理のために、社会的に小さくされている人々が存在するのも事実です。私たち主イエスに救われた者は、少しでも復活の主に従い、そうした人々のところへと足を運び、祈り、できることをなして行きたいと思います。そしてやがてその時が来たら「良き羊よ」とイエスさまに言ってもらえるように、信仰の道を共に歩んで行きたいと思います。

2018年9月2日 聖霊降臨節第16主日 笹井健匡牧師

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