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「愛と平和」  ヨハネの手紙一5章1~5節

 今年も平和聖日を迎えました。何を話すべきか、いろいろと黙想していると、なぜか「愛」という言葉が浮かんで来、そして次に「愛と平和」という言葉が浮かんで来ました。地に「平和」を実現するために神さまがイエスさまを通して示された道、平和への道が「愛」であったのだと思います。
 今日の聖書のすぐ前には、児島教会献堂式記念の「神は愛です」(4・16)があります。2010年からの児島教会の半永久的な「聖句」です。この新しい会堂にが文字通り神の愛で満たされたものであるように、日々祈りつつ、共に信仰の歩みをすすめて行きたいと思います。
 この世には、残念ながら平和を乱そうとする力があります。そしてそれは時に強力に、そして時に知らない間に、私たちを真綿で首を絞めるように追い込んでいったりもします。しかし、今日のこの聖書には、神とイエスを愛する者は皆、人々をも愛し、そしてそのような、この世に打ち勝つ、と告げています。
 ヨハネによる福音書16章33節にはイエス自身の言葉として、「わたしは既に世に勝っている。」と記されています。これは最後の晩餐後に話された言葉です。十字架へと歩む決意を固められたイエスが、自らの「死」を前にして、敗北ではなく、勝利を宣言されているのです。同じ系統にある教会に所属していたと思われるこの手紙の著者は、そのことをよくよく心に刻んでいたからこそ、そのイエスを信じ、従う私たち信仰者も、この世に勝利するということを確信しているのです。
 56歳の私が歩んできた時代は、子どもの頃は多くの人がそれほど豊かではなかったけれども、将来に希望を持ち、前向きに生きていたように思います。一人の人の命は地球より重く、「金」よりも大事なもの、愛とか夢とかがある、そういう感覚が当たり前であったように思います。しかしその後大きく時代は変化しました。
 今の世は、「金」が力をふるっているように思えます。そういう意味では悪の世であるのかもしれません。しかし私たち信仰者は、イエスが神の子であると信じる者です。私たちが愛を諦めたら、それこそ「悪魔」の思うつぼです。
 お金の大切さはもちろんしっかりと認識しつつ、しかしそれでもそれよりも大切なもの、愛があることを、そして愛こそが真の平和を実現できることを心に刻んで、信仰の歩みをすすめて行きたいと思います。

2018年8月5日 聖霊降臨節第12主日礼拝 笹井健匡牧師

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