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「生きた水」 ヨハネによる福音書7章37~39節

 パキスタン、アフガニスタンで医療従事をしておられた中村哲医師は、2000年の大干ばつでアフガニスタンが大きな被害を受けた時、病人が診療所に押し寄せて来るのを目の当たりにし、「もはや病気の治療どころではない、ここにいる患者たちのほとんどは食べ物ときれいな水さえあれば助けられる。水だ。今必要なのは水なのだ。」と思い至られます。そして、井戸を掘るという作業を始められます。その結果、1600もの井戸が掘られ、地下水をくみ上げることができるようになりました。しかし、アフガニスタンの干ばつはひどくなる一方で、地下水も枯れてしまうという状態になりました。中村医師は地下水に頼るのは限界であるとし、川から水を引く用水路を作ることを決意します。2003年から灌漑事業が始まりました。中村医師は白衣を脱ぎ、灌漑工事のことを一から学び、人々と共に汗を流し、用水路を開きました。この用水路は2010年に完成しました。人々の生活は潤されました。中村医師は2019年12月4日に車で移動中に何者かに銃撃され命を落としました。しかし、中村医師の志は、現地にあっても、日本にあっても引き継がれています。中村医師は人の命を救うために、人々の暮らしを守るために「水」が必要であるということに着目され、水を大地にもたらされました。

 今日の聖書には、「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって、流れ出るようになる。」というイエスの言葉が記されています。イエスのところには、渇きを潤す水があるのです。自分の中に渇きを持ち、自分ではどうすることもできない人が、イエスのところに来てイエスが与える水を飲むならば、自分の渇きが満たされるだけではなく、「その人のうちから生きた水が川となって流れ出るようになる」のです。その人からまわりに向かって「生きた水」が注ぎ出され、周囲の渇いた地を潤し、周りにある死の地を命に呼び起こすのです。39節に記されている「霊」とは、イエスから湧き出でて、地上を流れる「生きた水」です。「霊」はイエスを信じる者の中に入ってゆき、その人を潤し、そこで再び湧き出で、周りに命を与えるのです。

 中村哲医師は、アフガニスタンの人々に水をもたらしました。その水によって大地は潤い、緑も豊かになり、農作物もとれるようになりました。中村医師はクリスチャンです。中村医師はイエスによって「生きた水」を人々に与えるということをなしたのではないかと、私には思わせられました。「生きた水」は人々を生かし、潤す水です。そのような「生きた水」を私たちは求めているでしょうか。今一度イエスの言葉を聞く者でありたいと思います。そして、中村医師のような大きなことはできませんが、自分の内から「生きた水」が川となって流れるような生き方を求めていくことができるように祈る者でありたいと思います。

   2024年5月12日 復活節第7主日 平島禎子牧師


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