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「思い悩むな」 マタイによる福音書6章25~34節

 今日は花の日です。もともとアメリカの教会で始まったものですが、子どもたちを中心にした礼拝がスタートです。6月の第2主日の頃は、ちょうど夏の花が咲き始める頃でもありました。子どもたちにとっては、一学年が終了する時期でもあります。もともとお花をもってそれを祝うことだったのが、その持ち寄った花をもって、病院等の施設を訪問することのようになりました。梅雨の時期である日本の教会では、この「花を持って訪ねる」という愛の業がおおいに受け入れられ今日にいたる、ということのようです。

 今日の聖書でイエスさまは、日々厳しい暮らしを送っている人々に対して、その心を軽くさせ、生きる希望を与えられたのだと思います。その際に鳥と花を用いられました。命が食べ物より大切であることを言うのに鳥を、そして体が衣服よりも大切であることを言うのに花を持ちだされました。

 花に関しては、あの栄華を極めたソロモンよりも着飾っていると言われました。明日には炉に投げ込まれる、そんなはかない命の野の花でさえ、あのソロモン以上に美しく着飾っているとイエスさまは言われます。そして「思い悩むな」と言われました。

 今日の聖書の話は、直前の19節~24節を受けて「だから」と始められています。「神の国と神の義を求めなさい」とは、心を天に、神に向けて生きなさいということです。そうすればすべてのものは整えられ、与えられて、思い悩まずに生きることができると言われたのです。

 特に、イエスさまのもとに集まって来ていた人々の中には、文字通り明日をも知れぬ、厳しい状況に置かれている人々も多くいたと思われます。そんな人々にイエスさまは、あなたたちは十分よくやっている、大丈夫だ、神を信じて今日を精一杯生きれば、それでいいんだよと、言われたのではないかと思います。

 花のことを思うときに、先日天に召された星野富弘さんのことをあらためて思います。私などが、軽々しく言ってはいけないことですが、大きな事故により、体の自由を失われて、しかしそこから真の心の自由を獲得された富弘さんは、まさに置かれたところで精一杯咲く花のような方でした。

私たちもそれぞれ与えられた場所で、環境で、自らの心の花を精一杯咲かせる者でありたいと思います。そして教会が、そのような花でいっぱいの、笑顔あふれる真の喜びに満ちた場となっていけるよう、祈りたいと思います。

 

   2024年6月9日 花の日 聖霊降臨節第4主日礼拝 笹井健匡牧師


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