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「隔ての壁」 エフェソの信徒への手紙2章14~22節

 今日は沖縄慰霊の日です。79年前の沖縄戦に思いを馳せ、あらためて平和への思いを新たにしたいと思います。

 今日の聖書は、エフェソの信徒への手紙の中心的なメッセージが記されているところです。パウロは、エフェソの異邦人のクリスチャンに対して、自分を含めたユダヤ人のクリスチャンとの一致、平和(和解)を熱弁しています。

 パウロは、キリスト以前には、確かに隔ての壁があったことをまず認めます。割礼の有無、律法による分断、その他多くの壁が存在していました。そうした他民族、他者に対して壁を築く社会は、結局は、内部でも様々な壁を生んでいました。神殿はその象徴です。ここまでは異邦人も入れる、次はイスラエルの民なら女性も入れる、次は祭司たちだけ、至聖所に至っては、年に一回、大祭司だけが入ることができる、というふうに。

 イエスさまはそうしたユダヤ教の差別的な状況に対して、否を言われたのです。特に、さらに共同体から排除されていた、「罪人」や難病の人たちに、神さまの救いを宣言されたのです。それを受けて誕生した教会は多くの「みなしご」、「やもめ」たちを包含していました。世界伝道がなされて行く中で、教会を二分する、ユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンの問題が顕在化して行きました(ガラテヤ2:11~14)。特にエフェソにおいては、パウロ自身、2年もの伝道をした実感から、両者の一致の、大変さと大切さを痛感していたのだと思います(使徒言行録19:8~10)。

 そして、ユダヤ人クリスチャンの一人でもあるパウロは、エフェソの異邦人クリスチャンのために囚人にまでなっていると言います。15節16節に記しているキリストがそうであったように、パウロも和解と一致のために、囚人にまでなっていると言うのです。

 最初に言いましたように、今日は沖縄慰霊の日です。糸満市にある平和の礎には、戦没者の名前が刻まれています。国籍、つまり敵、味方は関係ありません。沖縄県出身者について、細かく定められている中に、原爆についても記述があります。沖縄、広島、長崎は、私にとって平和の礎です。

 イエスさまがその尊い命まで差し出して勝ち取ってくださったのは、すべての隔ての壁を取り壊し、あらゆる人が神の家族(19節)となる道です。その後を私たちも小さな歩みであっても、イエスさまの愛に応えて平和の歩みを進めて行きたいと思います。

   2024年6月23日 聖霊降臨節第6主日礼拝 笹井健匡牧師


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