• 記事検索

RSS

「ナルドの香油」 ヨハネによる福音書12章1~8節

 3月8日(金)、平島禎子牧師の父が亡くなって2か月になりました。この日は国際女性デーです。また私の父が生きていれば、90歳の誕生日でした。

 今日の聖書は、一人の女性の働きが輝いている個所です。マルコ、マタイの両福音書では、べタニアは共通する場所ですが、女性の名前は出て来ません。ルカではちょっと複雑ですが、べタニアという地名は消え、イエスの足に香油を塗った女性(ルカ7:36~50)と、マルタとマリアの話(ルカ10:38~42)の2か所に分かれています。ヨハネ福音書のラザロに関する記事(11章~)が史実だとすると、ナルドの香油に関する記述は、このヨハネ福音書が最も古い、オリジナルに近いものであると考えられます。

 十字架が差し迫る緊迫した状況の中、主イエスはべタニアで過ごされ、マルタ、マリア、ラザロと共にいて、マリアがナルドの香油をイエスさまの足に塗った、というのがより真相に近い、核心の出来事だったのだと私は思っています。

 表面的にまっとうなことを言っているように見えるイスカリオテのユダですが、実際は自分がナルドの香油を預かり、売却して、金額をごまかして、会計の補填をしようとしていたのが、見えみえです。

 イエスさまは、このナルドの香油を大変喜ばれたのだと思います。そしてこのことは、大切な記念(マルコ14:9)となりました。

 ヨハネ福音書にラザロと並んでもう一つ大きな記事があります。それはいわゆる最後の晩餐において、イエスさまが弟子たちの足を洗われた、洗足です。

イエスさまは繰り返し弟子たちに、「仕えること」を教えられました。なかなか理解できない弟子たちに、最後の最後に、その足を洗うという行動をもって、仕えることを教えられました。今は分からなくても、後で(聖霊を受けて)分かるようになる、と言われました。この洗足は、もしかしたらこのマリアのナルドの香油から来ているのかも知れません。十字架を前にして、もはや何もすることができないけれども、せめて葬りの前に、きれいにさせてほしい、マリアの精一杯のイエスさまへの思い、愛だったのではないかと思います。それをイエスさまは、最後に弟子たちに同じようにされたのです。だからこそ、後にこの意味を知った弟子たちは、命をも惜しまず、伝道に邁進して行ったのだと思います。

 私たちも、イエスさまに足を洗われ、ナルドの香油を塗ってもらった者として、救われた喜びを、そして何よりもその救い主イエスさまのことを人々に伝えていく者でありたいと思います。

 2024年3月10日 受難節第4(復活前第3)主日礼拝 笹井健匡牧師


コメント
name.. :記憶
e-mail..
url..

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):