• 記事検索

RSS

「主の道」 イザヤ書40章1~8節

 早いもので、もう3月になりました。月末には、イースターがやってきます。この時期、私たちはイエスさまの苦難と栄光の両方を心に覚えます。

イエスさまは何の脈絡もなく、ある日突然、現れたわけではありません。それまでの長いイスラエルの歴史がありました。もちろん喜び、栄光もありましたが、苦難、屈辱もありました。その歴史の中で、最大の危機といっていいのが、今日のイザヤ書40章の背景にある、バビロン捕囚でした。

 バビロン捕囚という民族存続の危機の中、そのバビロンが次第に衰退し、かわってペルシャの時代が到来しようとします。その政変の中、帰還の希望を察知し、

捕囚の民を励ましたのが、第二イザヤでした。彼は民へ慰めを語り、そして帰還のための道、主の道を備えるように人々に呼びかけました。主の道は、第一義的には、歩きやすい地平線の広がる道でした。それは同時に、神が実現される、平らかな世界をも表していたのだと思います。人の有限さ(6~8節前半)と神の永遠性(8節後半)。永遠に治められる、主なる神が、公平な世界、平和な世界を実現されるのだ、との預言者の強い信仰を感じます。

 1922年3月3日、全国水平社が創立されました。綱領の中には、水平社会を実現する旨が明記されています。差別をなくすことが、最終的に、すべての人が笑って暮らせる、平和な世界を実現すると謳われているのです。

 荒れ野に主の道、というこのイザヤ書40章の言葉は、新約聖書福音書の洗礼者ヨハネの登場の場面で用いられています。500年以上前、第二イザヤが預言した主の道が、イエスさまの前に登場したヨハネの役割として、新約聖書に受け継がれたのです。イエスさまこそ、あの主の道を完成させる方であると。そしてそのイエスさまの福音は、多くの紆余曲折を経ながらも、私たち人類の歴史に、何より人間の尊厳と、すべての人々の幸福を願う良心に、多大の影響を及ぼし、今もなお大きな力を与え続けているのです。

 レントのこの時、十字架への苦難の道を一歩一歩歩まれる主イエスの姿をしっかりと見つめつつ、同時にその先に復活の希望が待っていることを心に抱いて、日々克己の歩みを進めていく者でありたいと思います。

 

  2024年3月3日 受難節第3(復活前第4)主日礼拝 笹井健匡牧師


コメント
name.. :記憶
e-mail..
url..

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):