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「私たちの中に」 エレミヤ書31章31~34節

「私たちの中に」 エレミヤ書31章31~34節

エレミヤ書では、「民の心がかたくなで悪い」と繰り返し語られています。エレミヤは人間の罪深さと格闘した預言者でした。神はかたくなで悪い心を持つ「罪深い民」を救うために根源的なことをなされるということをエレミヤに告げました。「古い契約」は石の板に刻まれたものであり、書物に書かれたものでした。しかし、「新しい契約」は「私たちの中に」、「私たちの胸の中に、心の中に」記されるものであると言われるのです。私たちはもはや、外から律法が迫ってくることに対処することはなくなるのです。律法はすでに内面化されたものとして在るのです。「私たちの中に」すでに記されている髪から与えられた「新しい契約」によって、私たちは外側へと向かっていくようになるということではないかと思います。

「新しい契約」の成就として、イエスさまによる救いの業が私たちに与えられています。イエスさまの十字架の死によってすべての人の罪が赦され、復活によって新しい道を示され、聖霊降臨によって聖霊が私たちの中に入ってくるという出来事が起きました。そのイエスさまによる教え、救い、聖霊の働きを信じることができるのは、「私たちの中に」、「新しい契約」の言葉が刻まれているからではないかと思います。

意識、無意識といいますが、人間の意識(自意識)は海から突き出している氷山の一角であり、無意識は大部分が海の中にあるそうです。自分の中には「新しい契約」は記されていないと思う人もおられるかもしれませんが、それは意識化されないだけで、神さまから与えられた「新しい契約」はすべての人の中に刻まれているのであると思います。

しかし、時として、神さまを忘れ、この世の楽しみにのめりこみ、人に対してもつっけんどんになってしまうこともあるかもしれません。また厳しい現実の中で生きていくことの辛さを感じ、生きるのが嫌になることもあるかもしれません。どうしても許すことのできない人がいるかもしれません。また、どうせ人間は罪の塊なのだ、と開き直ることもあるかもしれません。しかし、自分のことは自分が一番よく知っているのです。どんなに堕落し、辛く、罪にさいなまれていたとしても、「新しい契約」が「私たちの中に」刻まれているのだ、ということを思い起こし、悔い改めて、神さまの愛の中でいきることができるようになるのではないかと思います。

「新しい契約」が「私たちの中に」刻まれていることを喜び、その喜びを人びとに伝えていく、そのような歩みをなしていく者でありたいと思います。

2017年6月11日 聖霊降臨節第2主日 平島禎子牧師

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