「神の公正」 申命記10章12~22節 申命記では、出エジプトの指導者モーセが荒れ野の旅を振り返り、今一度、神の愛、律法等について述べられています。今日の聖書の個所は「神が求められること」という表題がついていますが、自分が神に求めることではなく、神が自分に求められ・・・ [2019年09月29日]
「愛の花」 ヨハネによる福音書12章24節 ペンテコステおめでとうございます!
また今日は花の日でもあります。聖霊そのものは、神の息、風、雨等いろいろに例えられますが、その聖霊の結ぶ実についてもいろんなものがありますが、一言で言うと「愛」です。(ガラテヤ5:22)
・・・ [2019年08月20日]
「子どものように」 マルコによる福音書10章13~16節「子どものように」 マルコによる福音書10章13~16節
今日の聖書の個所には、イエスさまが子どもたちを祝福されるということが記されています。イエスさまのところに子どもたちを連れて来た人たちを、イエスさまの弟・・・ [2019年01月22日]
「神われらと共に」 マルコによる福音書1章18~25節 イエスさまの母となるマリアは、大工をしているヨセフと婚約していました。しかし、二人が結婚する前にマリアは聖霊によっておなかに赤ちゃんを宿しました。結婚する前に婚約者以外の男性の子どもを身ごもるということは、当時のユダヤ社会で・・・ [2018年12月30日]
「恵みを示される」 ルカによる福音書1勝5~25節 今日の聖書には、洗礼者ヨハネの父となる祭司ザカリアと母となるエリサベトについて記されています。「二人とも神の前に正しい人で、主の掟を守り、非の打ちどころがなかった。」と6節に記されています。主の前に正しく生きて来た祭司と妻で・・・ [2018年12月18日]
「闇の中の光」 イザヤ書8章26b~9章6節 アドベントの時期になりました。私たちはイエスさまの誕生を待ち望むのですが、それは私たちの生きている世界には闇があり、その闇を照らすためにイエスさまが地上に来られるのだ、ということを覚えておきたいと思います。
今日の聖書のイ・・・ [2018年12月04日]
「信じるということ」 マルコによる福音書9章14~32節 病気の子どもをイエスさまの弟子は癒せず、そのことで、律法学者たちと議論をし、その周りに大勢の群衆がいました。そこへ、イエスさまが3人の弟子たちとともに山から下りて来られました。イエスさまは議論をしている理由を病気の子どもの父・・・ [2018年11月19日]
「一粒の麦」 ヨハネによる福音書12章24節 今日は聖徒の日・召天者記念礼拝を守っています。
児島教会に赴任してから約4年半になりますが、その間5名の方を天に送りました。また私事では、児島に引っ越してから1週間後に弟が急死するということがありました。亡くなられた方々を思・・・ [2018年11月06日]
「自分の十字架」 マルコによる福音書8章31~9章1節 十字架はキリスト教のシンボルになっていると思います。しかし、イエスさまが十字架にかかられる前までは、十字架は残酷な処刑台以外の何ものでもありませんでした。十字架刑を下された者は、自分の十字架の横木を刑場まで持って行くというこ・・・ [2018年10月23日]
「満たされるということ」 マルコによる福音書8章1~10節 教会で一番大切なことはもちろん礼拝です。そして、あまり言われませんが、第二に大切なことは、礼拝後や集会や行事の時に持たれる、共に食事やお茶をいただきながらの交わりであると思います。礼拝と交わりの時を大切にすることによって、心・・・ [2018年10月12日]
「神の掟」 マルコによる福音書7章1~13節 今日の聖書では、「昔の人の言い伝え」という言葉がでてきます。これは紀元200年頃までは成文化されず、口伝で受け継がれてきたものです。この言い伝えというのは、律法そのものではなく、律法を守るために人間が作った規則です。エルサレムか・・・ [2018年10月10日]
「同労者」 フィリピの信徒への手紙4章2~7節 9月6日(木)の未明に北海道で大きな地震がありました。直前に台風21号による大阪を中心とする関西地方お被害の大きさがわかっていただけに、大変驚かされました。その前は西日本豪雨があり、改めて、日本は災害列島であると思わされました。・・・ [2018年10月04日]
「帰ろうかな」 イザヤ書63章29節 8月20日(月)~22日(水)まで平島禎子牧師の実家のある福岡に帰省して来ました。年に一度、特に4年前義弟が亡くなってからは、お墓参りをかねたものとなっています。また、前々任地の教会も(福岡に)あります。
私は京都が故郷ですが、大阪・・・ [2018年09月21日]
「突風」 マルコによる福音書4章35~41節 私たちの人生の中でも「突風」が吹くような出来事があることと思います。思いもしなかった挫折、突然起きた不幸、そういった事柄の中で、突風が私たちの中に吹き荒れるのではないかと思います。私た・・・ [2018年09月21日]
「いやし」 マルコによる福音書1:29~34 今日の聖書の個所には「いやし」について書かれています。イエスさまの最初の弟子であるペトロとアンデレの兄弟の家が舞台になっています。まず、そこから弟子たちは家族と断絶したのではない、ということがわかります。また、そのことを「人・・・ [2018年08月28日]
説教題「最初の弟子たち」 マルコによる福音書1章16~20節 今日の聖書は、イエスさまが最初の弟子たちを召されるところです。マタイ、ルカと3つの福音書では、ほぼ共通した内容になっています。しかしヨハネ福音書では、だいぶ違う内容が描かれています。いろいろな解釈が可能ですが、十数年前、平島・・・ [2018年08月08日]
「始まり」 マルコによる福音書1章9~15節 今日の聖書はイエスさまが公生涯に入られた始まりのことが記されています。イエスさまは全き人間おしてヨハネから洗礼を受け、その時に天が裂けて(イザヤ書63章19節)、神の御心を知られました。そして、霊に導かれて荒野へ行き、サタンの誘惑・・・ [2018年05月01日]
「荒野で叫ぶ者」 マルコによる福音書1章1~8節 荒野というのは過酷な場所であり、また人々の日常から離れたところでした。ヨハネ以外にも荒野で宗教生活をするグループがあったようですが、一般民衆とは関わろうとすることはなかったようです。ヨハネが一人で荒野に現れて叫んだことは画期・・・ [2018年04月26日]
「声なき声」 ローマの信徒への手紙12章9~21節 今日は、あの3・11から7年目の日です。当初は、被災のピアノの話をする予定でしたが、準備の途中で、今井和子さんという私の母教会の信仰の母の友人のことを、以前平川英勝兄が英語の文書?を見せてくださったことを思い出しました。しかし・・・ [2018年03月30日]
「指」 ルカによる福音書11章14~26節 14日の水曜日よりレント、受難節に入りました。イースターの前の46日間、そのうち6回の主日である日曜日を除く40日間の期間が受難節となります。イエスの苦しみの頂上は十字架にあります。しかし、生前のイエスもまた、苦しみがあり、人の世・・・ [2018年03月20日]
「力を捨てよ」 詩編46篇 先週は思いもよらぬことが起きました。水曜日の祈祷会後、唇の左側が麻痺していることに気づき、翌日には左目がおかしいことに気づきました。結果、顔面麻痺の一種のようで、食べにくく、話しにくい状態とまばたきができない左の目からが時折・・・ [2018年01月30日]
「心を新たにして」 ローマの信徒への手紙12章1~8節 今年は1月2日に鷲羽山の山頂まで初めて行きました。体力がかなり落ちていて、展望台から山頂までは普通なら10分で行くらしいのですが、私の場合は、休み休みに行って、ようやく山頂にたどりつきました。本当は途中でやめたくなったのですが・・・ [2018年01月22日]
「マリアの賛歌」 ルカによる福音書1章46~56節 「マリアの賛歌」は旧約からの「賛美の歌」の伝統でとらえることができます。(出エジプト記15章19~21節のミリアムと女たちの歌と踊り、サムエル記上2章1~10節のハンナの祈り等)「マリアの賛歌」は「ハンナの祈り」がベースになっていると・・・ [2017年12月22日]
「ヨセフの愛」 マタイによる福音書1章18~25節 先週のアドベント第1主日礼拝で、平島禎子牧師が「マリアの信仰」について詳しく教えて下さいました。救い主イエス・キリストの誕生はマリアの信仰なしには成就しませんでした。
私たちの信じるヤハウェの神は、人と共に働かれる神です。人・・・ [2017年12月13日]
「マリアの信仰」 ルカによる福音書1章26~38節 ルカによる福音書にはバプテスマのヨハネの誕生物語も記されています。そのヨハネの母となるエリサベトとマリアは親戚であると記されています。(36節) さらに5節を見ますと、エリサベトはアロン家の娘と記されています。ミカ書6章4節を見・・・ [2017年12月04日]
『主の言葉に信頼する』 創世記12章1~4節 アブラム(アブラハム)は行く先を知らないで、神に信頼して旅立ちました。アブラムの旅立ちは、今まで住んでいた土地、そして一緒に暮らしてきた家族と別れるという精神的旅立ちでもあったかもしれません。神の声はアブラムに精神的に自立する・・・ [2017年11月29日]
「 叫ぶ 」 マルコによる福音書10章46~52節 「叫ぶ」 マルコによる福音書10章46~52節
今日の聖書の箇所は、イエスさまのエルサレムへの旅の終わりに近いエリコという町を通り、その町を出ようとした時のことが記されてます。そこには、目が見えないバルティマイの癒しがなされた物・・・ [2017年11月15日]
「新しい心と新しい霊を造り出せ」 エゼキエル書18章30~32節「新しい心と新しい霊を造り出せ」 エゼキエル書18章30~32節
30節に、「イスラエルの家よ。わたしはお前たちひとりひとりをその道に従って裁く」と記されています。神さまは、集団としてではなく、ひとりひとりの在り方を問われている・・・ [2017年10月31日]
「人生のゴールを目指して」 ペトロの手紙二1章3~14節「人生のゴールを目指して」 ペトロの手紙二1章3~14節
私は50歳になってから、人生にはゴールがあるのだ、ということを強く感じるようになりました。この先長くて30年くらいの人生かなと思う時、自分は何も残せないけれども、あかしな・・・ [2017年10月10日]
「苦しみの中にあっても」 詩編41篇1~14節「苦しみの中にあっても」 詩編41篇1~14節
私たちは病からであれ、人間関係からであれ、苦しみを受けることがあります。私も最近、病からと人間関係からくる苦しみを受けました。長く大丈夫だった喘息の咳が出たり、FB上で傷つけられる・・・ [2017年09月26日]
「あなたは何者なのか」 ヤコブの手紙4章11~12節「あなたは何者なのか」 ヤコブの手紙4章11~12節
夏の休暇で福岡へ帰省し、3年5ヵ月前に急死した弟の墓参りに家族で行きました。晴れ渡った空、広がる海が霊園から一望でき、改めて人間は有限な存在なのだ、と思わされたことでした。・・・ [2017年09月12日]
「開かれる」 マルコによる福音書7章31~35節「開かれる」 マルコによる福音書7章31~35節
今日の聖書は、耳が聞こえず、話すこともできない人がイエスさまのところに連れて来られたことがしるされています。この人のまわりにいた人たちが、この人を癒してもらおうと思い、連れて来た・・・ [2017年08月22日]
「平和を求めて」 マタイによる福音書5章9節「平和を求めて」 マタイによる福音書5章9節
8月6日は、広島原爆忌です。朝の8時15分にたった一発の原子爆弾によって、広島の人たちの日常が破壊され、多くの人が命を失い、死体の山が築かれ、ものすごいやけどのたために皮膚がただ・・・ [2017年08月05日]
「神の計画」 創世記50章15~21節「神の計画」 創世記50章15~21節
今日の聖書は、父ヤコブが死んだ後、ヨセフの10人の兄たちの心配から始まります。兄たちは、ヨセフを憎み、ヨセフを商人に売り渡した結果、ヨセフは最終的にエジプトに連れてこらされたのです。そのこと・・・ [2017年07月24日]
「敵を愛せ」 マタイによる福音書5章43~48節「敵を愛せ」 マタイによる福音書5章43~48節
今日の聖書には、「・・・敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」というイエスさまの言葉が記されています。誰かが私たちの敵となり、憎しみを向け、傷つけたとしても、憎しみを持・・・ [2017年07月03日]
「私たちの中に」 エレミヤ書31章31~34節「私たちの中に」 エレミヤ書31章31~34節
エレミヤ書では、「民の心がかたくなで悪い」と繰り返し語られています。エレミヤは人間の罪深さと格闘した預言者でした。神はかたくなで悪い心を持つ「罪深い民」を救うために根源的なことをなさ・・・ [2017年06月13日]
「生ける神の教会」 テモテへの手紙一3章14~16節「生ける神の教会」 テモテへの手紙一3章14~16節
なぜか2週間前に続いて、「教会」をテーマにした説教になってしまいました。教会というと、多くの人は建物である教会堂を思い浮かべるかもしれません。もちろん建物としての教会も大切・・・ [2017年05月23日]
「祈り合う教会」 ヤコブの手紙5章13~18節「祈り合う教会」 ヤコブの手紙5章13~18節
日本の社会では「祈り」は自分の願いや望みということに重点が置かれていると思います。英英辞典で調べてみると、祈りprayという言葉には、commune with God神と親しく語り合うという意味があり・・・ [2017年05月08日]
「信じる者に」 ヨハネによる福音書20章24~29節「信じる者に」 ヨハネによる福音書20章24~29節
イエスさまが復活された日の夕方に、イエスさまは鍵をかけた家に閉じこもっていた弟子たちのところへ現れられました。弟子たちは喜びに満たされましたが、そこにはトマスという1人の弟子はい・・・ [2017年04月26日]
「信じ、祈る」 マルコによる福音書11章20~25節「信じ、祈る」 マルコによる福音書11章20~25節
イエスさまが生きておられた社会は、ローマに支配されていたイスラエル社会であり、搾取や不正がまかり通っていました。そのイスラエル民族の唯一のアイデンティティーと言ってもよい「ユダ・・・ [2017年03月21日]
「ついて来なさい」 マルコによる福音書1章16~20節「ついて来なさい」 マルコによる福音書1章16~20節
キリスト者としての歩みは新興宗教のようにマニュアルがあるわけではありません。信仰者として一人一人が神から召しを受けて、自分でなければできない歩みをなしていかなければなりませ・・・ [2017年02月21日]
「信仰者の希望」 コロサイの信徒への手紙3章12~14節「信仰者の希望」 コロサイの信徒への手紙3章12~14節
今、歌いました讃美歌は、明後日納骨をします故鴨井シヅエ姉のお好きだった讃美歌です。武公子牧師が電話で歌ってくださいました。教会に集うことがいかに大きな恵みであり、生きてい・・・ [2017年02月08日]
「神の選び」 ガラテヤの信徒への手紙1章11~14節「神の選び」 ガラテヤの信徒への手紙1章11~14節
クリスチャンになる、洗礼を受けるということは、人間的な思いが一切入ってはいけません。「神の選び」によってなせるものなのです。このことはクリスチャンになって教会生活をするという・・・ [2017年01月24日]
「小さな者として」 マタイによる福音書25章31~49節「小さな者として」 マタイによる福音書25章31~49節
ミカ書5章1節には、「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者」と言われています。しかし、その小さな町から「イスラエルを治めるいと小さき者が出る」と言う・・・ [2016年12月27日]
「救いの約束」 イザヤ書52章7~10節「救いの約束」 イザヤ書52章7~10節
イザヤ書52章7節には、「いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いをつげ、あなたの神は王になられた、とシオンに向って呼ばわ・・・ [2016年11月29日]
「ガリラヤ湖のほとり」 マルコによる福音書1章16~20節「ガリラヤ湖のほとり」 マルコによる福音書1章16~20節
昨年は、深山公園で、山に囲まれた中で、野外礼拝を行いました。今年はこの渋川海岸で、瀬戸内海のそばで野外礼拝をできることを神さまに感謝します。
しかし、実を言いますと・・・ [2016年11月01日]
「教会の働き」 マタイによる福音書9章35~38節「教会の働き」 マタイによる福音書9章35~38節
イエスの周りには、「飼い主のいない羊のような弱り果て、打ちひしがれている群衆が」が大勢いました。イエスはそのような群衆を御覧になり、深く憐れまれました。この「憐れむ」という言・・・ [2016年10月26日]
「少数者たちの希望」 マタイによる福音書18章19~20節「少数者たちの希望」 マタイによる福音書18章19~20節
「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」とイエスは言われています。キリスト教信仰は個人の信仰ももちろん大切ですが、それと同・・・ [2016年10月18日]
「虹」 創世記9章8~17節「虹」 創世記9章8~17節
神さまはお造りになった世界を見て「よし」とされました。(創世記1章31節)しかし、次第に人々の中に悪がはびこるようになり、神さまは地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められました。(創世記6章5、6・・・ [2016年09月28日]