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「指」  ルカによる福音書11章14~26節

 14日の水曜日よりレント、受難節に入りました。イースターの前の46日間、そのうち6回の主日である日曜日を除く40日間の期間が受難節となります。イエスの苦しみの頂上は十字架にあります。しかし、生前のイエスもまた、苦しみがあり、人の世の罪、悪との闘いがありました。
 今日の聖書の箇所は、イエスが「悪霊の力で悪霊を追い出している」(15節)と非難されていることにイエスが答えられているところです。イエスは、「わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。」(20節)と言われました。出エジプト記8章15節を見ますと、モーセが王の前で魔術師と力比べをなし勝った時に、魔術師は王に「これは神の指の働きであります。」と言っています。モーセと同じようにイエスも神の指によって癒しをなされたのであります。
 私が修論を書いた赤岩栄という牧師は「指」という月刊誌を16年間発行し続けました。その指は、最初は十字架のイエスを指す「指」でした。それは16世紀初めの画家、グルネワルト(グリューネヴァルト)という人物が描いた「十字架上のキリストを指す洗礼者ヨハネ」の絵を思い起させるものでした。しかし、その指は彼の信仰の変遷によって、人間の連帯を示す数本の指に変わりました。赤岩は政治、社会のことに深い関心を持ち、そのようなこの世の事柄と聖書、イエスを信じることは矛盾しないということを模索し続けていったのであろうと思います。
 神の指によって、私たちの世界は造られました。そして、イエスの持つ神の指によって、多くの人が癒されていきました。私たちに与えられた指はイエスを指し示すものであり、そして他者と連帯する数本の指をもって、この世で大変な思いをしている人たちのために、自分の指を使わなければならないのではないかと思わされます。
 自らに与えられている「小さな指」を用いて、真実なものを指さし、そして人間の連帯の中で生きていく、そのような者へと日々変えられて行く者でありたいと思います。そして、私たちの歩む道がイエスさまのように苦難の道になろうとも、苦しみ、死に勝利したところにおられるイエスを見出し、指さし、そのところまで、意気揚々と歩んでいくことができるよう、祈る者でありたいと思います。

2018年2月18日 受難節第1主日礼拝 平島禎子牧師

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