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「平和への道」  マタイによる福音書5章9節

 昨日、無事に帰って来ることができ、こうして皆さんと共に礼拝をささげることができることを、神さまと皆さんに心から感謝いたします。アッシジでは、本当にいろいろなことを思わされ、得難い「糧」を得られました。行く前に映画を2本観てから行ったのですが、やはり実際にその場に、現実に行くことができたのは、今でも不思議で、神さまの導きとしか思えません。

         - 中略 -
 
 今、世界に暗雲が立ち込めている、私にはそう思えてなりません。しかしアッシジに来ていた人々の、少なからぬ人々がアッシジを訪れ、同じように「平和」を祈っていることでしょう。
 資本主義経済の行き過ぎから、本来は大切だった「富の再分配」がおろそかにされ、富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しくなる、そんな世界になってしまいました。自由に競争することは、もちろん大切なことですが、それと同じように、いやそれ以上に「分かち合う」ことは大切だと思います。一日も早く、人類の歩みがその方向へ、真の平和へと向かい、多種多様な人々が互いに違いを認め合いつつ、互いを尊重し合う、そんな社会をみんなで目指して行きましょう、というような声が世界各地から多く挙がるように祈ります。
 もちろん、多くの弱さや、欠けをかかえた私たちです。しかし神さまはそんな私たちを招いて「平和の道具」とされたのだと思います。互いに祈り合いながら、助け合い、支え合いながら、十字架への道、真の平和の道を歩まれるイエスさまに、遅れながらも、休みながらもついて行く歩みを続けて行く者でありたいと思います。

2018年2月25日 受難節第2主日 笹井健匡牧師

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