• 記事検索

RSS

「神の国を求めて」 ルカによる福音書12章22~34節

 今日の聖書の個所は大変有名な箇所であり、「空の鳥」「野の花」に関するたとえ話から始まり、「食べ物」「飲み物」に「思い悩むな」というイエスさまの素晴らしい言葉のオンパレードのようなところです。
    
      -中略ー マタイによる福音書の並行個所参照

 そしてイエスさまは、最後に31節で、「神の国」をこそ求めるように教えられたのです。それでは、神の国を求めて生きるとは、いったいどのように生きることでしょうか。答えは33節に記されています。あえて日本人に分かりやすく言うとしたら、「喜捨」です。信仰的に言うなら、愛をもって、ささげなさい、ということです。そうでないなら、パウロが言うように、いっさいは「無」だからです。しかし、そんなことを言われても、はい、分かりました、と言ってすぐできる人がいるでしょうか。現実には、私たちにはなかなかできないことであります。それを実践したのが、アッシジのフランシスコでした。だからこそ、彼は「第2のキリスト」と呼ばれるようになりました。
 もちろん、批判的、歴史学的に言えば、いろいろ言うことは、たやすいことかも知れません。しかし、みなさんのご厚意により、実際にアッシジ研修旅行に行かせていただき、フランシスコの精神を体感することができ、やはりすごいなあ、真似できないなあ、足元にもおよばないなあ、というのがわたしの実感でした。
 地上に富を積む、子孫に富を残す、これが現代の、日本の姿だと思います。あの戦後の、食べる物もない、廃墟から必死に生きて来た人々、私の両親もそうでした。この世に神も仏もない、そう思ってもしかたないとわたしは思います。しかし、それでも教会は、今日も、神の愛を人々に伝えています。そして、暗雲立ち込めるこの世界の中で、イエスさまを人々に伝え続けて行きたいと思います。神にできないことは、何ひとつありません。
 わたしたち主イエスを信じる者が、この世の真の救い、そして真の平和をもたらすため、「十字架への道」を歩まれたことを覚え、わたしたちも、それぞれの賜物を生かし、できる範囲で、神さまの「平和の道具と」なりたいと思います。

2018年3月4日 受難節第3主日 笹井健匡牧師

コメント
name.. :記憶
e-mail..
url..

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):