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『主の言葉に信頼する』 創世記12章1~4節

 アブラム(アブラハム)は行く先を知らないで、神に信頼して旅立ちました。アブラムの旅立ちは、今まで住んでいた土地、そして一緒に暮らしてきた家族と別れるという精神的旅立ちでもあったかもしれません。神の声はアブラムに精神的に自立する旅立ちを促していたのであったかもしれません。
 私たちのなす旅立ちには、距離的な旅立ちと精神的な旅立ちがあります。居場所はそのままであったとしても、精神的に自立していくということがなされる時期があるのではないかと思います。それは親離れであり、子離れであろうと思います。また、友達、恋人、夫婦などの関係もなれ合いではなく、それぞれが精神的に自立するということが大切なのではないかと思います。一人一人の人間には個性、独自性があり、それを生かして精神的に自立して生きていく、または、相手を自立した人間として尊重していく、ということが大事なのではないかと思います。そして、クリスチャンとして、神の言葉を聞き、そして、いよいよという時を何度か経験すると思いますが、その時、神の言葉に信頼して決断するということが大事であろうと思わされます。しかし、アブラハムと違って、私たちは直接神の声を聞くことができません。日ごろから聖書に親しみ、祈り、教会生活をすることによって、なんとなく神さまの思いがわかるようになってくるのではないかと思います。そして、選択が迫られる時、これが神の言葉だ!と示され、決断することができる時が来るのではないかと思います。
 キリスト教の信仰を求める者は、最終的に、一人の人間として、神の前に立ち、他の誰の助けも得ないで、神の呼びかけに応えて、神の言葉に信頼し、自分の人生を生きていかなければなりません。私たちは、日々み言葉に聞き、祈り、祈りの中でも神に聞くということをなしていかなければなりません。新しい旅立ちの時はこれから私達一人一人にやってくるかもしれませんし、また、教会としてもそのような時が来るかもしれません。そのような時、人間的な思いを廃して、主の言葉に信頼して、主が示される方向へと旅立っていくことができるよう、祈る者でありたいと思います。

2017年11月26日 降誕前第5主日 平島禎子牧師

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