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「マリアの信仰」  ルカによる福音書1章26~38節

 ルカによる福音書にはバプテスマのヨハネの誕生物語も記されています。そのヨハネの母となるエリサベトとマリアは親戚であると記されています。(36節) さらに5節を見ますと、エリサベトはアロン家の娘と記されています。ミカ書6章4節を見ますと、「・・・モーセとアロンとミリアムをお前の民に遣わした。」と記されています。ミリアムは女性であり、きょうだいであるアロン、モーセと共に、神から遣わされた預言者であったのです。マリアをギリシア語で見るとマリアムと発音できます。マリアムというのはミリアムからきているのではないかと思います。聖書によれは、イエスは男系ではダビデの子であり、女系ではミリアムの子であると言えるのではないでしょうか。
 受胎告知と言われる今日の聖書に登場するのは、マリアと天使ガブリエルの2人だけです。マリアは誰に相談することもできない状態でしたが、自分で考え、自分で思い巡らし、最初はそのようなことはありえないと思い、なぜそのようなことが起きるのか、自分はまだ男の人を知らないのに、と答えました。天使は、マリアの親戚のエリザベトが高齢であり、子どもができなかったのに、身ごもっていることを徴として上げ、「神にできないことは何一つない」と語りました。マリアはその言葉を聞き、天使の言うことを聞き入れました。マリアは「主のはしため」と言ったと記されていますが、「はしため」とは不快語です。この言葉は「僕(しもべ)」と訳せる言葉です。つまり、マリアは「主の僕」として、天使の言葉を受け容れたのです。
 また、当時のユダヤ社会では、「婚約している処女の娘が別の男と床を共にするなら、2人とも石で撃ち殺されなければならない。」(申22章23、24節)という律法がありました。マリアもそのことは承知していたはずです。天使が現れ、神の恵によって身ごもったのです、と言っても誰が信じるでしょうか。マリアの決断は命がけのものでした。しかし、マリアは神に絶対的信頼を寄せ、天使の申し出を受け容れたのです。ここにマリアの強い信仰を見ることができるのではないかと思います。
 「神にできないことは何一つない」という天使ガブリエルの言葉を信じて、決断したマリアの信仰に倣い、この世的には不可能であり、どうしようもない事柄であったとしても、「神にできないことは何一つない」ということを信じる者でありたいと思います。そして、マリアの信仰に倣い、私たち一人一人、私たちにしか歩くことができない信仰の道を共に歩んで行く者でありたいと思います。

2017年12月3日 待降節第1(降誕前第4)主日 アドベントⅠ 平島禎子牧師

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