• 記事検索

RSS

「満たされるということ」  マルコによる福音書8章1~10節

 教会で一番大切なことはもちろん礼拝です。そして、あまり言われませんが、第二に大切なことは、礼拝後や集会や行事の時に持たれる、共に食事やお茶をいただきながらの交わりであると思います。礼拝と交わりの時を大切にすることによって、心も体も満たされるのではないかと思います。
 今日の聖書の個所は「四千人の給食」と言われているところです。イエスさまと群衆は三日間一緒にいたけれども、食べ物がなく、空腹のまま群衆を帰らせるのはかわいそうだ、とイエスさまは弟子たちに言われました。しかし、弟子たちは、近くに店もないし、こんなに多くの人たちの食べる食糧はない、とイエスさまに言いました。しかし、イエスさまが「パンはいくつあるのか」と問われると、「七つです。」と弟子たちは答えました。全く食糧がなかったわけではなく、おそらく、イエスさまと弟子たちが満足できる量の食物はあったのです。群衆を解散させた後、イエスさまと自分たちは七つのパンを食べることができると弟子たちは思っていたのかもしれません。
 しかしイエスさまは、その七つのパンをとり、「感謝の祈りを唱えてこてを裂き」人々に配るように弟子たちに渡し、弟子たちはそれを受け取り大勢の人々に配りました。また、後から小さい魚が少しあることもわかり、イエスさまは「賛美の祈り」を唱えて、弟子たちに配らせました。すると、奇跡が起き、そこにいた人たちは食べて満腹したのです。この奇跡はどのような出来事だったのかと不思議に思わされます。パンを分けても分けてもおパンは減らなかったのか、それとも後から魚が出てきたように、群衆の中に食糧を持っている人たちがいて、それを出していったのか、などと思わされますが、真相はわかりません。ただ、そこにいる人たちが食糧をみんなで分かち合って、満たされたということは事実なのではないかと思います。
 いくらお金があり、食べる物が山のようにあったとしても、本当にその人が満たされるという経験ができるでしょうか。満たしても満たしても満たされない欲求があるだけではないかと思います。しかし、少ない食べ物でも、神に感謝と賛美の祈りをなし、そして分かち合いの精神を持つことによって、人間は本当に満たされるということを知ることができるのだと思います。
 七つのパンと少しの魚を神さまに感謝し、群衆に配られたイエスさまを信じ、私たちも神を信じ、分かち合いの精神を持つ者でありたいと思います。そして分かち合うことで満たされるということを信じて、小さな愛の実践をなしていくことができるよう、祈る者でありたいと思います。

2018年10月7日 聖霊降臨節第21主日 平島禎子牧師

コメント
name.. :記憶
e-mail..
url..

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):