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「パン裂き」  使徒言行録20章7~12節

 今日の聖書は、真共同訳聖書の見出しにもあるように、パウロが一人の若者を生き返らせるところです。おどろくべき事柄ですが、使徒言行録9章36節以下にはペトロがタビタという女性を生き返らせたことが記されています。使徒言行録前半の中心人物であるペトロが「生き返らせる」という奇跡を起こしたように、後半の主人公であるパウロも同じ奇跡を起こした、ということだと思います。
 若者は、3階の窓に腰掛け、居眠りをしてしまい、1階に落ちてしまったのです。おそらくパウロは2階の広間で説教を続けていたのだと思います。若者を生き返らせた後、まるで何事もなかったかのように、2階に戻り、夜明けまで話し続けたと記されています。トロアス最後の夜とは言え、いかにパウロが伝道に燃えていたかがうかがい知れます。
 しかし、今日の聖書はもうひとつ、私たちに大事なことを教えてくれます。それは現代においては当たり前のようになされている「聖餐式」についてです。7節には週の初めの日に、パンを裂くために集まっていたことが記されています。最初期の礼拝は、おそらく、主イエスが弟子たちと最後の食事をされた木曜日の夜に集まり、行われていたと思われます。それが、復活された日の夜に変わり、そして現代に通じる復活された日の朝、つまり日曜日の朝に行なわれるようになったのではないかと考えられます。
 そしてその集会の名前が「パン裂き」ではなかったかと思われるのです。11節にはパンを裂いて食べたことが記されています。つまり、まず神さまを礼拝し、その後共に食事をするということが最初期の礼拝だったと思われるのです。
 礼拝を共に、食事を共にすることは不可分の大切なことだったのです。その時間を通して、最後の晩餐はもちろん、給食の奇跡や、ふだんのイエスさまと共に食した交わりを想起していたのだと思います。つまり「主にある交わり」のときでした。これは神を愛し、隣人を愛することに通じます。「パン裂き」において互いに愛し合うことを確認し、信仰の証しをなし、また近況を報告し合い、そこに復活の主が共におられることを思いながら過ごしたのだと思います。
 私は「愛餐」という言葉がとても好きです。1部の礼拝の後、2部の愛餐の時を過ごし、信仰を支え合い、高め合っていたのではないかと思います。
 私たちも礼拝はもちろん、時空うを超えた、主にある交わりに生きる信仰者として、これからも共に歩んで行きたいと思います。

2018年10月14日 聖霊降臨節第22主日 笹井健匡牧師

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