• 記事検索

RSS

「マリアの賛歌」 ルカによる福音書1章46~56節

 「マリアの賛歌」は旧約からの「賛美の歌」の伝統でとらえることができます。(出エジプト記15章19~21節のミリアムと女たちの歌と踊り、サムエル記上2章1~10節のハンナの祈り等)「マリアの賛歌」は「ハンナの祈り」がベースになっているとも言われています。ユダヤ家庭において、「ハンナの祈り」は聞き継がれてきたのかもしれません。聖書は父権制社会の中で記されてきました。もしかしたら大きな働きをしたかもしれない女性がいたかもしれないのに、それを消している、またそれを矮小化させているところがあるのではないかとも思わされます。しかし、注意深く聖書を読んでいくと、消そうとしても消すことができなかった女性たちの歴史というものがあったと思わされます。
 マリアはハンナの祈りと似た内容を持つ歌を歌いました。思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。(51~53節) つまり、この世の価値観を逆転させる神の力を歌った、反権力、反貧困の歌であると言ってもいいと思います。ハンナの祈りで似た内容があったということもあるでしょうが、マリア自身も当時の社会状況がいかにすさんだものであるのかを知っており、それを神さまが正されることを信じていたのだと思います。そしてまた、この歌はイエスさまがどのような方として地上で生きられるのかということも示唆しているように思わされます。
 また、マリアの賛歌の最後に記されている事柄は、イスラエルの長い歴史における神とイスラエルの民との約束であり、そして、マリアの時代から今日までの約2000年という長い歴史の中でイスラエルという民族を超えてイエスさまを通して神さまを信じるようになった者たちが心に刻まなければならない内容であると思います。(その僕イスラエルを受け入れて、憐みをお忘れになりません。わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。54、55節)
 「マリアの賛歌」は、砕かれた謙遜な思いをもって、なされた賛歌です。私たちは、この「マリアの賛歌」を思い、神さまの前にへりくだり、自らの内面を見つめながら、この世にある様々な差別・抑圧の問題、社会の問題と向き合っていかなければならないと思わされます。このアドベントの時期、砕かれた謙遜な心を神さまの御前に持ち、人の世に真実な解放、平和、正義をもたらされる主イエスのご降誕を待ち望む者でありたいと思います。

2017年12月17日 アドベント第3主日礼拝 平島禎子牧師

コメント
name.. :記憶
e-mail..
url..

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):