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「神と共に歩む」  ルカによる福音書2章1~7節

 クリスマスおめでとうございます。
 あれから約2000年後を生きる私たちにとって、クリスマスは最高にうれしい、喜びの日です。しかし最初のクリスマスは、暗い世相の中にともされた、ほんの小さな灯でした。ごく少数の人たちしか知らない、世界の片隅で起きた、ほんのささいな出来事だったのです。
 アドベントを歩みながらみてきたように、クリスマスの出来事が成就するには、マリアとヨセフの信仰と愛に基づいた、勇気ある決断が必要でした。神さまは自らの愛してやまないひとり子を、この世の中で、最も小さな存在と言っていい、マリアとヨセフにゆだねられたのです。二人を通して、偉大な業を、この地になされたのです。
 時は、ローマによる、最初の住民登録のときでした。植民地であったユダヤの人々はそれに従わざるを得ませんでした。ベツレヘムへの旅は、屈辱と不安の旅だったに違いありません。これからローマの支配が、いよいよ厳しさを増してくる予感をイスラエルの民は感じていたことでしょう。
 しかしマリアとヨセフは心を通わせ、妊娠中の困難さを抱えながらも、それでもそこに神の導きを信じてベツレヘムへと旅をしたのだと思います。それまで神が導かれたように、この後も必ず、神が自分たちを導いて下さることを信じて。
 おそらくベツレヘムは多くの人で混み合い、住民登録の手続きに時間がかかっている間に、マリアが臨月を迎え、イエスを出産することになったのだと思います。しかも宿屋に泊まることができず、生まれたばかりの赤ちゃんイエスを、馬小屋の飼い葉桶に寝かせました。
 主イエス・キリストの誕生は、およそ救世主の誕生にはふさわしくない環境で起こりました。王宮ではなく、都エルサレムでもなく、小さな町の、しかも人間が寝起きする場所ではない馬小屋で。
 神は、私たち人間を救うために、御子を、この世の最も低きところ、貧しきところに誕生させられました。真の救いは「下から」始められたのです。そしてその後の地上での歩みにおいて、救いの意味が新たにされて行きました。
 マリアとヨセフはベツレヘムへの旅を、神と共に歩み、そして見事にその大役を果たしました。私たちもそれぞれの人生において、神さまと共に、与えられた役割を果たして行く歩みをすすめて行きたいと思います。

2017年12月24日 クリスマス礼拝 笹井健匡牧師

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