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「信仰者の希望」 コロサイの信徒への手紙3章12~14節

「信仰者の希望」 コロサイの信徒への手紙3章12~14節

今、歌いました讃美歌は、明後日納骨をします故鴨井シヅエ姉のお好きだった讃美歌です。武公子牧師が電話で歌ってくださいました。教会に集うことがいかに大きな恵みであり、生きていく糧となっているかということが謳われています。

先週の平島禎子牧師の説教にありましたように、「選民思想」は、非常に危険な面を持っています。わたしたちも神さまから選ばれた者ですが、その在り方、目指す方向を今日の聖書は教えてくれています。身に着けるべき5つのものの真ん中にあるのが「謙遜」です。神さまに選ばれているからこそ、謙遜になっていく、それがクリスチャンの信仰の在り方です。

教会は、人間の集まりです。ひとりひとりは欠けの多い、土の器です。しかし、いやだからこそ、互に赦し合うことが大切であると言われています。相手の欠点を責めることは簡単です。しかし私たちの信じるイエスさまは、十字架にあげられつつも、敵を赦された方です。であるなら、せめて教会の姉妹兄弟の間では赦し合うことを、まず第1の目標にしたいものです。そして、それができたならば、教会の外に広げていき、最終的には、敵をも愛することができる信仰者となっていきたいと思います。

危険な「選民思想」の人たちの希望は、「力」、つまり信じている「神」のパワーにありますが、私たちクリスチャンの希望は、「愛」にあります。イエスさまによって示された神の愛こそ、私たちの、信仰者の依るべき希望なのです。

現代は、ほんとに何が起こるかだれも分からない時代です。大きな世のうねりの中で、おぼれそうになる者ですが、神さまから愛されている者として、愛こそが、私たち人間の、人類のあるべき姿、生きるべき道であることを証していく者でありたいと思います。

「信仰」者の「希望」は「愛」であることを心に刻んで、信仰の歩みを互いに助け合いながら、謙遜にすすめていく者でありたいと思います。

2017年1月29日 降誕節第6主日礼拝 笹井健匡牧師

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