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「神の家族」 マルコによる福音書3章31~35節

「神の家族」 マルコによる福音書3章31~35節

現代は、家族の在り方も多様化し、「これが家族!」というようなものは、あまりありません。私自身、職業柄、これまで仕えてきた教会が、ほんとの家族のような感覚を持っています。それは、血縁の家族が、クリスチャンではなので、余計に強い気がします。

今から2000年前の、イエスさまの時代、もっと家族が絶対的な存在の時代でした。そんな世の中にあって、イエスさまは、自分を取り押さえに来た、身内の人たちよりも、自分のところに集まって来ていた大勢の群衆をさして、自分の家族であると言われました。

地縁、血縁を越えた家族の姿がここにあります。そしてこれはやがて誕生する教会の雛形になっていったように思います。初代教会が目指したのは、生前の、イエスさまが行っておられたことと連続していたと私は思っています。

しかし、よく考えてみますと、「神の御心を行う人」こそがイエスさまの家族だと言われていますが、ここに集まっている人たちは、今はまだイエスさまのところに来ているだけのように思います。もちろん、後には、イエスさまのことを宣べ伝え、愛の業を成していく者へとなっていくと思いますが。

しかし、よく考えてみると、今の私たち、日本のクリスチャンの姿とも似ているのではないでしょうか。教会に来るだけで、精一杯、私自身もそうでした。教会に来るのが困難な人もいるわけです。おそらく、このイエスさまを取り囲んでいた大勢の群衆も、そんな人々だったと思います。何もできない、しかしとにかくイエスさまを目指して、イエスさまのところへ来たい、そんな人たちが大勢いて、やがて教会の、神の家族になっていったのだと思います。

さまざまな不安が取り巻く時代の中で、私たちはそれでもイエスさまが示してくださった人間の在り方を、あきらめずに目指していく者でありたいと思います。そして尊い対価をはらって、イエスさまが救いの道を開き、この地上に教会を誕生させてくださったことを心から感謝し、いよいよ神の家族として成長していく者でありたいと思います。

2017年2月5日 降誕節第7主日礼拝 笹井健匡牧師

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