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「イエスの言葉を信じる」 ヨハネによる福音書4章46~54節

「イエスの言葉を信じる」 ヨハネによる福音書4章46~54節

わたしたち人間は、誕生したときには、最も身近な存在、多くの場合は親ですが、その言葉を信じて成長していきます。しかし、次第に、ものごころがつき、反抗期を経て、信じられるものが不確定になっていきます。そして紆余曲折の結果、何かにたどり着くのかも知れません。

わたしたちクリスチャンにとって、それは聖書に記されたイエスさまの言葉ではないかと思います。イエスさまを信じて生きるようになる、その言葉を信じて成長していく、それはいわば第2の誕生と言えます。最高に確かなものをいただいたわたしたちは、安心して、心の平安を与えられて、人生の旅を最後まで歩むことができるのです。

今日の聖書の真ん中あたりには、「しるし」「不思議な業」を見なければ、つまり証拠がなければ信じることができない、わたしたちの「弱さ」が指摘されています。最終的に、この「王の役人」は、息子の病気が良くなって信じたわけですが、しかしそれはイエスさまが「あなたの息子は生きる」という言葉をこの人にかけられた時、すなわちイエスさまが言葉を発せられた時に、病の癒しがなされたことを知ってです。この人は、いまだ結果を見ていない状態で、ただイエスさまの言葉を信じて帰って行ったのです。

わたしたちの信仰生活も、同じような面があるかもしれません。イエスさまから招かれ、信じる者となったわたしたちは、まだ結果は分かりませんが、イエスさまの言われた言葉を信じて、これまで歩んできたように、これからも歩んで行くのです。

しかしひとつだけ確かなことがあります。それは今こうして児島教会に集えるのは信仰の先達たちが、このところでイエスさまを信じ、結果を見ずしてただ、イエスさまが言われるから、その言葉を信じて、信仰の歩みを全うされた、その延長上にわたしたちは居るのです。そういう意味では、わたしたちは「結果」を知っているし、その事実を享受しています。

わたしたちもイエスの言葉を信じて、前に向かって手を伸ばしながら、地上での信仰の歩みを一歩ずつ共にすすめて行く者でありたいと思います。

2017年2月12日 降誕節第8主日礼拝 笹井健匡牧師

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