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説教題「最初の弟子たち」 マルコによる福音書1章16~20節

 今日の聖書は、イエスさまが最初の弟子たちを召されるところです。マタイ、ルカと3つの福音書では、ほぼ共通した内容になっています。しかしヨハネ福音書では、だいぶ違う内容が描かれています。いろいろな解釈が可能ですが、十数年前、平島禎子牧師が礼拝で言われたのは、イエスさまは最初お一人で宣教活動されたのではないか、というものでした。そう考えますと、ヨハネに記されている弟子の召しは、バプテスマのヨハネが生きていたときのことなので、納得がいくようにも思えます。
 「湖のほとり」を歩いておられたとき、イエスさまはどんな心境だったのでしょうか。私は、神さまから、弟子を召すように、との声を聞かれたのではないかと考えています。そしてそのとき、目の前に存在したのが、「漁師たち」だったのです。
 「漁師」を弟子にした理由は定かではありませんが、ガリラヤ湖を渡って行き来するのによかったのかもしれません。律法の専門家ではなく、あえて無学な存在をこそ弟子にされたのかも知れません。しかし、私自身は、以前にもお話しましたが、5番目に「徴税人」を弟子にされているところに注目しています。当時の社会で「罪人」同様人々からの厳しい差別を受けていたレビ(マタイ)を弟子にしているのです。 
 神の愛を持ったイエスさまは、当時の社会で最も厳しい差別を受けていた人々を救おうとされたのではないか、と思います。そのため「漁師」が弟子としてふさわしい存在だったのだろうと思います。 -中略ー
 召された4人の漁師は、イエスさまの言葉に従い、すべてを捨てて「弟子」となりました。彼らに声をかけられたイエスさまは、復活の主となられ、今も生きて働き、私たち一人ひとりに声をかけてくださいます。
 イエスさまは、今年の教会歴では、10日(木)に昇天されました。今、次週の主日、ペンテコステまでの、イエスさまがおられない10日間にあります。この時を、祈りを熱くして、そしてイエスさまの声を聖書をとおして聴いて、今年も私たち児島教会の上に、そして一人ひとりの上に、聖霊が降るように、支え合いながら、歩んで行く者でありたいと思います。

2018年5月13日 復活節第7主日礼拝 笹井健匡牧師(平島の代理)

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