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説教題 「空の鳥を見よ」 マタイによる福音書6章25~34節

 今日の聖書は、いわゆる「山上の説教」のひとつの大きなヤマ場です。19節から24節までに教えられた「神と富」とについての結論にあたるところです。「食べる事」と「着る事」を引き合いに出し、それらが私たち人間に必要なことは、神さまがよくよくご存知であることを教え、ただ神の国と神の義を求め、思い悩まずに生きるように教えられています。
 今日はいわゆるゴールデンウィークの最終日にあたります。多くの人々が移動をした日々が続いていたのだと思います。みんながどこかに行くので、特にお子さんやお孫さんとのため、とにかくどこかへ、と多くの人々が移動をするわけです。盆と正月と、さらにゲう曜日が休日の三連休も同じような現象が起きます。ある程度はいいのかも知れませんが、もう少し、個人の事情、理由で、それぞれに「移動」するようになったほうが何かといいと思うのは私くらいでしょうか。
 さて、今日のところへやって来ていた人々はどうでしょうか。決しておでかけの場所、行き先としてイエスさまのところに来たわけではありません。さまざまな事柄に悩み苦しむ人々が、救いを求めて集まって来ていたのです。その「目」には、憂いの色があったかも知れません。絶望の陰を帯びていたかも知れません。イエスさまは、そうした大変な状況にある人々に対して、だからこそ、「明日のことまで思い悩むな。」「神を信じろ。」と教えられたのだと思います。
 今日を生きる、今を生きるだけで、精一杯、ぎりぎりの人が大勢いた時代でした。ともすれば下を向いてしまう人々に対して、顔を上げて空の鳥を見てごらん。大丈夫。あなたたちも、大丈夫だから。
 また明日どう生きよう、と思い悩む人々には、足元に咲いている野の花を見てごらん。すっごいきれいだよ。だから大丈夫。あなたたちこそ、大丈夫だから。そんな思いを込めて、イエスさまは人々を教え、慰め、励まされたのではなかったでしょうか。
 わたしたちも大勢の人々にはできなくても、神さまが出会わせてくださった目の前の一人の人に対して、イエスさまを指し示して、イエスさまの言葉を伝えて、大丈夫、と言える者でありたいと思います。そして、またわたしたち自身も、イエスさまの言葉によって、顔を上げ、思い悩みを排して、神さまを信じて一日一日を生きて行く者でありたいと思います。

2018年5月6日 復活節第6主日礼拝 笹井健匡牧師

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