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「神の反則」 創世記32:23~31

「神の反則」 創世記32:23~31

 今日は、9月最初の日曜日で、昔、教会学校の盛んな頃は、新起日、といって2学期が始まるこのとき、新たな思いで再出発する日でした。年度の歩みは4月から始まるので、9月末で上半期が終了するわけですが、牧師にとっては、現実的には、夏期休暇がひとつの大きな区切りとなり、いよいよ後半が始まった、という感じになります。
 今日の聖書は、2年前に、9月の第2週に説教した個所です。迷いましたが、自らの歩みがあまりにも、ドンピシャ、だったので、再び選ばせていただきました。神さまが反則をされる、ということだけでも考えられないことですが、今回私が示されたのは、神さまも嘘をつく、ということでした。究極の反則と言っていいのかも知れません。
 29節に、ヤコブからイスラエルへの改名が記されています。その理由が「お前は・・・勝ったからだ。」というのです。神さまに「勝つ」なんて、と思ってしまいます。しかし、神さまは、あえてそう言われたのです。
 2年前に、申し上げましたが、26節の神さまの攻撃は、どう考えても「反則」です。しかし、それはヤコブがかつて、エサウに対して、反則を用いて、調子の特権を奪い(25:27~34)、父イサクからの祝福をもだまし取った(27:18~29)ゆえに、神さまはあえて反則を「見せられた」のだと思います。心理学的には、ヤコブは自らの影(シャドウ)と闘った(25節)のです。まさにシャドウボクシングです。
 神を離そうとしない、神にくらいついてあきらめないヤコブに、神さまは勝利を宣言してくださったのです。ですからこの「勝った」というのは、最後まで神から離れず、くらいついていった、と言い換えてもいいのかも知れません。そして、この神さまの言葉によって、ヤコブはその心の傷、トラウマ(PTSD)を完全に癒され、エサウとの再会を無事に、うまく果たすことができたのです。
 私たちも、人生の途上にあって、「どうして神さまこんなことを?」というような経験をするかも知れません。しかし、そんなときでも、いやそんなときこそ、神さまから離れず、くらいついて、祝してくださるまでは、納得させてくださるまでは、やめません、という信仰が大事なのかも知れません。日々、聖書に親しみ、神に祈りなながら、それぞれの信仰の歩みをすすめて行く者でありたいと思います。

2017年9月3日 聖霊降臨節第15主日 笹井健匡牧師

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