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「自分は何者か」 ヨハネによる福音書1章19~28節

 今年もアドベントを迎えました。アドベント・クランツのロウソクに、一番目の灯がともりました。世は暗闇の様相を呈していますが、間もなく降誕される主イエスの暖かい希望の灯りを、いつも以上に大切にしたいと思います。

イエスさまの宣教活動の前には、先駆者として、洗礼者ヨハネが登場します。ヨハネは、当時のユダヤで大きな存在でした。イエスさまの、弟子たちへの問い、「わたしを何者だと言うのか」という、いわゆるペトロの信仰告白の場面での問いが、今日の聖書では、ユダヤ当局がヨハネに「あなたは何者なのか」という問いになっています。ヨハネは最終的に預言者イザヤの言葉を引用し、「荒れ野で叫ぶ声」であり、水で洗礼を授けているだけの者だと答えます。

 ヨハネはやがて来たるべき方メシアが現れ、聖霊によって洗礼を授けられる。自分は、その道備えをする者、その為、水で悔い改めの洗礼を授ける者であるとの自己認識を持っていたのだと思います。

 パウロは、もともと迫害者でした。復活の主に出会い、宣教者となった初期の頃は、文字通り命を惜しまぬ伝道をなしました。その心には、迫害という取り返しのつかないことをしてしまった強い後悔、懺悔の思いがあったかも知れません。しかし、復活の主と共に宣教活動を続ける中で、晩年には、生まれる前から(ガラテヤ1:15)神のくすしき業によって、宣教者とされたのだと思うようになったのだと思います。

 今年もクリスマスの前に、自らの心にイエスさまを迎える飼い葉桶を準備して行きたいと思います。私たちも一人ひとり神さまに導かれ今日まで歩んで来ました。その内容は、人それぞれ、本当に多様だと思います。私はもともとキリスト教と無関係な環境に生まれ、中学から一応経験しましたが、ほぼ無関係が続き、しかし高校3年生のクリスマスイブに世光教会へ導かれ、クリスチャンになり、なんと牧師になって、今日に至っています。

 それぞれの時点でのイエスさまとの関係は、ほんとにいろいろですが、大切なのは、ヨハネがイエスさまの登場の時、自らを「声」とし、パウロが宣教活動を続ける中で自らを「生まれる前からの宣教者」と認識したように、今、ここにおける、自分は、イエスさまとどのような関係にあるのか、イエスさまとの関係において、自分は何者なのか、を問うことだと思います。

マリアが天使の御告げに、いろいろと思いめぐらせたように、私たち一人ひとりも、もう一度イエスさまと自分との関係を、今、ここ、の時点で、自分は何者であるのか、を心に持ちながら、アドベントの時を一日一日歩んで行きたいと思います。

2023年12月3日 アドベントⅠ(降誕前第4主日)礼拝 笹井健匡牧師


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