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「九死に一生」 出エジプト記2章1~10節

 若い頃、信仰の影響を受けた牧師、教授の多くは、戦時下を生き抜いた人々でした。中には文字通り、九死に一生を得た人たちもありました。今で言う、サバイバーです。

 今回、モーセの生い立ち、その出生のところをいろいろと思い巡らせて、ああ、モーセも九死に一生を得た人だったのだとあらためて思いました。私自身もその出生のとき、やはり九死に一生を得た経験をしていました。

モーセが生まれた頃、イスラエルの男の赤ちゃんは、非常に厳しい状況に置かれていました。モーセの母は、何とか命を救おうと、できる限りのことをしました。その信仰と、切なる願いが神さまに届いたのだと思います。ファラオの王女が救いの手を差し伸べることになり、それが後の、出エジプトへとつながったのです。そこで活躍したのが、姉のミリアムでした。

 ミリアムは愛と、勇気と、知恵に満ちた女性でした。もしかしたらすぐ下の弟アロンの誕生の時は、助産師たちの勇気でその命を救われたのかも知れません。されに厳しくなったモーセの誕生の時、ミリアムの機転によって、モーセは命を救われ、なんと実母によって育てられ、そしてエジプト王女の子として成長していくことになりました。

 モーセの生い立ちには、母と姉の、愛と、信仰に基づく勇気があったのだと思わされます。以前、ミリアムについて詳しく語りましたので、今日は、母の方に注目したいと思います。

 それにしても最初の、母の、「ナイル河畔の葦の茂みの間に置く」という方法は、絶妙なあんばいの、これ以上ないやり方だったと思います。1章22節の「ナイル川にほうり込め」という王の命令に一応従いながらも、万に一つの望みを託して「籠を用意し、ていねいに防水し、河畔の葦の茂みの間に置いた」のです。

最期の最期まで、できる限りの努力と労を惜しまず、決してあきらめず、そして最終的には、すべてを神にゆだね、お任せしたのです。ここには地味だけれどもきらりと光る、ベテランの信仰者の姿があるように思いました。

 今、私たちは、大変厳しい世界を生きていますが、しかし長い人類の歴史の目で見れば、あるいは宇宙的視点で俯瞰して見れば、まだまだやれることはありますし、もっともっと祈りを熱くしていかなければと思わされます。厳しい過酷な状況にある人たちに愛と平和を祈り続けて行きたいと思います。

 

    2023年11月19日 降誕前第6主日礼拝 笹井健匡牧師


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