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「聖なる平和」 イザヤ書11章6~10節

 7章において「インマヌエル」預言をなし、9章において「新しい王」について預言したイザヤは、この11章において「平和の王」の預言をします。前半の1~5節は、途絶えたかに見えたあのダビデ王朝、その子孫の中から真の平和の王が誕生することをあらためて預言します。現に存在するところからの、手の届くところにある新しいリーダーを預言しているようにも思えます。しかし後半の6~10節にいたっては、もはやそのような身近な、現実世界での平和を超えたところにある、神的な平和、聖なる平和について、まるで絵本の世界のように、美しいたとえで朗々と、平和な世界が歌い上げられているように感じます。

 狼、豹は、小羊、子山羊を食し、若獅子は子牛を食していました。それが共に宿り、共に伏し、共に育つというのです。そして大人ではなく、小さい子どもがそれらを導くと。

 さらに牛も熊も獅子も、その子らも、ひとしく干し草を食らう、と言います。そして乳飲み子が毒蛇の穴に入っても、幼子が蝮の巣に手を入れても大丈夫というのです。

 9節には、はじめて神が「わたし」と自己開示され、これらのことは神のなせる業であることが鮮明になります。そこでは、神の聖なる山では、危害も滅亡もないというのです。そしてその理由は、主を知る知識で満たされるからだと言います。

 「知識」という言葉は、情報をいっぱい知っているとかいうよりも、もっと根源的な理解、全身全霊での受け止め、のような感じだと思います。神に全信頼を置く、という感じでしょうか。6節にあるように、導くのは、小さい子どもなのですから。

 今、世界は、このイザヤの預言とは真逆の様相を呈していると感じられている方も多くおられるかも知れません。しかし神の言葉は必ず成就します。

 イザヤが預言した、神の聖なる山から始まる、言わば聖なる平和は、すべての民を救う旗印となりました。飼い葉桶に生まれられた主イエスこそ、聖なる平和への道です。

 だれも害を加えず、滅ぼすこともない世界が、この先に、必ず実現することを信じて、信仰の灯をともしながら、この時を、祈りを熱くして、クリスマスまで歩んで行きたいと思います。

 

2023年12月17日 アドベントⅢ(降誕前第2主日)礼拝 笹井健匡牧師


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